海外競馬ニュース 2015年08月13日 - No.32 - 2
伝説の競馬解説者ピーター・オサリヴァン卿が死去(イギリス)[その他]

 “競馬の声(Voice of Racing)”として知られ、競馬史上最高の解説者の1人ピーター・オサリヴァン卿(Sir Peter O’Sullevan)が、97歳で亡くなった。

 50年間、オサリヴァン卿はBBCの首席解説者として、競馬史における多くの最高の瞬間を実況した。1997年、最後の実況を行った数週間後に、ナイト爵位を授与された。

 広い人脈をもつジャーナリストであり、熟練したアナウンサーでもあるオサリヴァン卿は、馬主としても頭角を現した。勝負服は、黒地、黄十字襷、黄帽である。最も活躍した所有馬は、トライアンフハードル(G1)優勝馬アティーヴォ(Attivo)と、キングズスタンドS(G1・ロイヤルアスコット開催)およびアベイドロンシャン賞(G1・ロンシャン競馬場)を制したビーフレンドリー(Be Friendly)である。

 79歳で競馬実況を引退したオサリヴァン卿は、さまざまな動物愛護団体を援助するために自ら設立した慈善信託に、その情熱を向けた。

 1989年発行の自伝『コーリング・ザ・ホーシズ(Calling the Horses)』(2014年改訂)は、サンデータイムズ紙(Sunday Times)のベストセラーランキング(ノンフィクション部門)でトップとなった。競馬関連本が、これほどの成功を収めることは初めてであった。

 1918年3月3日、オサリヴァン卿は、アイルランド・ケリー州キラーニーの判事であるジョン-ジョセフ・オサリヴァン(John Joseph O’Sullevan)大佐の一人息子として生まれた。自らの出生地はケリー州ケンマレであるといつも言っていたが、晩年になってダウン州ニューキャッスルで生まれたことが明らかになった。

 少年時代に英国サリー州に移り、祖父母と同居を始めた。その後、競馬への情熱が高まり、通信協会(Press Association)の競馬部に就職した。そして、1946年にBBCラジオで競馬解説者としてのキャリアを開始した。

 3年後、オサリヴァン卿はグランドナショナルの実況チームに加わり、数々の記憶に残る実況をしたことにより、その名前はお馴染みのものとなった。有名な競走としては、1967年のフォイネイヴォン(Foinavon)の優勝、1981年にオルダニティ(Aldaniti)を優勝に導いたボブ・チャンピオン(Bob Champion)騎手の好騎乗、そしてレッドラム(Red Rum)の3勝があげられる。1977年のレッドラムの3度目の優勝の際、オサリヴァン卿は次のように実況した。「脱帽です。すごい歓迎ぶりです。リヴァプールでこのような歓声を聞いたことはありません!」。

 1997年にサニーベイ(Suny Bay)が優勝したヘネシーゴールドカップ(G3・ニューベリ競馬場)が、オサリヴァン卿のテレビ実況の最終レースとなった。その次のレースでミック・フィッツジェラルド(Mick Fitzgerald)騎手が騎乗した所有馬サウンズファイン(Sounds Fyne)の優勝により、オサリヴァン卿はウィナーズサークルに登場することになった。

 オサリヴァン卿には、1977年に大英帝国勲章4等(OBE)、1991年に大英帝国勲章3等(CBE)、1997年にナイト爵位が授与された。また、1986年にジョッキークラブのメンバーに選出され、1971年および1986年の年度代表競馬ジャーナリスト賞[1971年は友人のクライヴ・グラハム(Clive Graham)氏と同時受賞]、1986年のロイヤルテレビジョンソサエティーズTVスポーツ賞などを受賞した。

 オサリヴァン卿は、競馬解説者として勤務する傍ら、デイリーエクスプレス紙(Daily Express)に執筆していた。子はなく、妻のパットさんは2009年に亡くなっている。

By Andrew Dietz

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[Racing Post 2015年7月29日「Legendary race-caller Sir Peter O’Sullevan dies」]