タペタ馬場の開発に集中するため、7年前に調教師から引退したマイケル・ディキンソン(Michael Dickinson)氏が、再び調教師として始動する。
1980年代、ディキンソン氏は英国において3度の障害リーディングトレーナーに輝いている。このたび、同氏は米国メリーランド州に所有するタペタファーム(Tapeta Farm)で、調教師としてのキャリアを復活させる。
ディキンソン氏はレーシングポスト紙に、「幸いなことに、これまでにないほど健康状態が良く、18歳時のような体力、やる気、エネルギーをもっています。現在65歳ですが、子供もおりませんし、心から調教を楽しんでいます。調教師としての再スタートが、とても楽しみです」と語った。
「妻のジョアン(Joan Wakefield)がタペタ社の事業を引き受け、私は相談役として関わっていきます。多頭数を管理しようと思っていませんが、調教のために最適な牧場を有していますので、20〜30頭を管理できれば理想的です」。
ディキンソン氏は、父トニーから英国ヨークシャーのヘアウッド調教場(Harewood)を受け継ぐまでは、障害騎手として成功を収めていた。調教師時代の1980年代前半は圧倒的な強さを見せ、1982年にはボクシングデー(クリスマス翌日)1日で12勝し、1983年のチェルトナムゴールドカップにおいては、1〜5着を管理馬が独占するという歴史的な記録を作った。
1986年にロバート・サングスター(Robert Sangster)調教師に引き抜かれ、マントンの地で平地競走馬の調教を始め、障害競走馬の調教から手を引いた。平地では僅かに4勝をあげた後、サングスター調教師との関係が終わって、米国へ移転した。
米国ではメリーランド州北東部を拠点として、優れた功績を収めて、評判を立て直した。特筆するべきは、1996年と1998年のBCマイルで優勝したダホス(Da Hoss)である。頑丈とは言えないダホスは、1回目のBCマイル優勝以後、2回目の優勝の1ヵ月前に一度出走しただけであった。その他、ディキンソン氏は、タピット(Tapit 2013年北米リーディングサイアー)で2004年ウッドメモリアルS(G1)を制した。
ディキンソン氏は人工馬場のタペタを生み出し、実際に自身の調合に基づいて調教馬場にタペタを導入し、その後はレース用馬場を開発した。
タペタ馬場は、昨年まではドバイのメイダン競馬場で使用されており、ウォルヴァーハンプトン競馬場でも敷設されている。また、ニューキャッスル競馬場の人工馬場としても選定されている。
ディキンソン氏は、伝統的な手法と多くの新しい調教技術を組み合わせて調教を行う計画であり、高地トレーニング調教場(酸素濃度を減少させた調教場で、高地にいるような状態を作り出す)、生物力学分析器(馬が最高の状態かそうでないかをアドバイスする分析器)、気管支酸素供給システム(ディキンソン氏個人の発明で詳細は明かされていないが、馬の酸素活用を助ける技術)などの最新技術に投資している。また、タペタファームは7年間にわたって維持管理されているが、タペタ馬場も再敷設されている。
同氏は、「タペタファームの敷地を50エーカー(20ha)増設し、今は250エーカー(100ha)です。天気が許せば、毎日4時間、馬を放牧したいと考えています。今は50エーカーの新鮮な牧草地がありますので、十分だと思います」と語った。
ディキンソン氏は、米国の薬物規制に関する状況の変化は、同氏のように競馬場から離れた場所で調教を行う調教師にとってプラスになると考えている。そして、次のように語った。「薬物規制標準化委員会(RMTC)と北中米競馬委員会協会(RCI)は、競走馬に使用する薬物を取り締まる新ルールを提案しています。この提案は、競走馬を自然な方法で調教する私のような調教師にとって有益なことです」。
「さらに、競馬での薬物使用に関する法案が議会においても審議中です。薬物使用に関しては米国反ドーピング機関(United States Anti-Doping Agency)が管理することになるでしょう。つまり、使用を認められる薬物が減るとともに、薬物投与日から出走までの時間が長くなります」。
By Colin Russell
[Racing Post 2015年8月4日「Dickinson set to revive his training career」]