21世紀の障害競走において象徴的存在だったデンマン(Denman)が6月5日、18歳で死んだ。チェルトナムゴールドカップ(G1)で記憶に残る優勝を果たして後世にその名声を残すデンマンの死に対し、哀悼の意が寄せられた。
ファンの間で"ザ・タンク(The Tank 戦車)"という愛称で親しまれたデンマンは、その一連の優れた成績と、同厩舎で隣の馬房にいたコートスター(Kauto Star)との直接対決によって、障害競走の伝説において地位を確立していた。
デンマンのキャリア最高の瞬間は、2008年チェルトナムゴールドカップのときに訪れた。デンマンは毎回全力で臨んだこのレースにおいて、前年の優勝馬コートスターと将来のグランドナショナル優勝馬ネプチューンコロンジス(Neptune Collonges)を破り、走行と飛越において非の打ちどころのないパフォーマンスを見せつけたのだ。
馬主の1人ポール・バーバー(Paul Barber)氏はこう述べた。「デンマンのように優れた大型馬を所有することには、かなりの緊張感があります。悲しいことに、どのような馬も必ず死を迎えます。幸運にも、最後の2年間、彼がここで幸せそうに過ごしているのを見ることができました」。
バーバー氏は、18歳という高齢のためにデンマンの膝関節の症状が悪化したことから、安楽死処分の決定を下したと語った。
馬主のバーバー氏とハリー・フィンドレー(Harry Findlay)氏が所有したデンマンを管理したポール・ニコルス(Paul Nicholls)調教師は、声明(6月6日付)においてこう述べた。「とても人気あるチェルトナムゴールドカップ優勝馬デンマン(Denman)が昨日、痛みを感じることなく永眠したことを、悲しみを込めてお伝えします」。
「デンマンの愛情深い馬主バーバー氏がこの決定を下しました。私、クリフォード・ベイカー(Clifford Baker)厩舎長、獣医師のバフィ・シャーリー-ビーヴァン(Buffy Shirley-Beavan)氏もこの決定を全面的に支持しました。デンマンの症状は数日前から悪化し始めました。彼が苦しむのを見たくないため、私たちはそれが正しい行動であると判断しました」。
「デンマンは丈夫で我慢強く意欲的な馬でしたが、とても調教しやすいというわけではありませんでした。少しでもチャンスがあれば、馬房の中に差し出された手に噛みつこうとしました。私たちの拠点マナーファームステーブル(Manor Farm Stables サマセット州ディッチート)はデンマンが入厩した頃にちょうど黄金時代を迎えており、デンマンはスター馬の1頭となりました」。
デンマンは当初、エイドリアン・マグワイア(Adrian Maguire)調教師に管理され、ポイント・トゥ・ポイント競走(訳注:アマチュア騎手による障害競走)を制した。その後個人取引で、バーバー氏とフィンドレー氏により10万ユーロ(約1,300万円)で購買された。そして、マナーファームステーブルでニコルス調教師が手掛ける数々のスター馬の仲間入りを果たす。
デンマン(父プリゼンティング)は、正規の障害競走に出走するようになってから3シーズンの間、ほぼ非の打ちどころのない成績を挙げた。2006年ロイヤル&サンアライアンスハードル(G1 現バリーモアノヴィシーズハードル)でニカノール(Nicanor)にまさかの一敗を喫したのが唯一の取りこぼしだった。
デンマンはその期間に、数々の高額賞金レースを制した。チャローノヴィシーズハードル(G1)、ロイヤル&サンアライアンスチェイス(G1)、ヘネシーゴールドカップ(G3)、レクサスチェイス(G1)、エイオンチェイス(G2)などである。そして初めて挑戦したチェルトナムゴールドカップでは他馬を見事に打ち負かした。
コートスターとの対決に向けての宣伝はヒートアップした。ベテラン厩舎長のベイカー氏によれば、伝説の2頭の勝負は大いに盛り上がった。
ベイカー厩舎長はこう語った。「デンマンが4歳でここに入厩してから昨日まで、ずっと世話することができてとても幸運でした。私たちはこの18ヵ月間、バーバー家の裏の囲み放牧場で毎日デンマンに会うことができました。彼は輝かしい生活を送り、その一瞬一瞬を楽しんでいました」。
「このような偉大な馬のそばにいられたことを大変光栄に思います。チェルトナムゴールドカップで優勝し、ヘネシーゴールドカップを2勝するなど、いくつかのビッグレースを制しました。そしてその間ずっと、彼の隣の馬房には素晴らしい仲間コートスターがいました」。
「2頭とも魅力的な馬であり、夢のようでした。チェルトナムゴールドカップを制した才能溢れる2頭を世話することができたのは凄いことです。この2頭のキャリアにおいて、そのライバル関係も1つの要素であり、ファンの心を大いに盛り上げました」。
「2頭のことは一生忘れられないでしょう。いつか子供たちに2頭について話してあげられればどんなに素晴らしいことでしょうか。デンマンもコートスターもいつまでも語り伝えられるでしょう。デンマンはすべてにおいて最高の馬で、欠点は何もありませんでした」。
デンマンは優勝した2008年チェルトナムゴールドカップでサム・トーマス(Sam Thomas)騎手とコンビを組み、コートスターはニコルス厩舎に所属したルビー・ウォルシュ(Ruby Walsh)騎手とコンビを組んだ。
トーマス騎手はこう語った。「バーバー夫妻、ニコルス調教師、フィンドレー氏、デンマンの現役時代から引退生活にわたるまで世話をした人々や関わった人々、皆様にお悔やみ申し上げます」。
「デンマンは特別な馬で、競馬ファンだけではなく、多くの人々に感動を与えたので、大勢が悲しんでいることでしょう」。
「それは障害競走で大きな功績を残したデンマン、コートスター、その他の数々の偉大な馬について共通して言えます。私はデンマンとコンビを組んだ幸運を、ずっと忘れないでしょう」。
同騎手はこう付言した。「デンマンで制したゴールドカップのことはすべて覚えています。10年も前のことだとは思えません。デンマンはどの馬もかなわないほど最高の状態でした。信じられないほど素晴らしく、ポールは彼をピークの状態に仕上げていました」。
「デンマンは大型馬でしたが、乗っていてそのように感じませんでした。とても機敏で、切れ味が良く、反応が良かったからです。性能の良いスポーツカーのようで、些細な動きでも感じ取って前進し、騎手が望む方向に動きます」。
「私たちはゴールドカップで任務を遂行しました。デンマンはその日の最高の馬であることを自ら証明しました。誰が何と言おうと気にしません。デンマンに匹敵するような馬はいないでしょう。全速力をキープできる物凄い馬でした」。
その次のシーズン、デンマンは心房細動と診断され2月まで出走しなかった。チェルトナムゴールドカップでコートスターの2着となり、その後も2年連続で同レースの2着となった。
デンマンはさらに1勝を果たすことになる。それはトップハンデを背負った2009年ヘネシーゴールドカップであり、数千人もの熱い声援を受け、その素晴らしいパフォーマンスに関係者は涙を流した。
2着となったのはもう1頭の同厩馬ホワットアフレンド(What A Friend)であり、鞍上はトーマス騎手が務めていた。同騎手はこう語った。「デンマンに比べてずっと軽い負担重量でした。デンマン以外の馬なら勝てたでしょう。挑戦して行き、並びかけましたが成す術もなく、デンマンは私たちに追い越させてくれませんでした」。
「最後のほうで頭1つ前に出ましたが、ホワットアフレンドはそれほど乗りやすい馬ではなく、デンマンは交わすには悪い相手でした。まるでレース終盤でトニー・マッコイ騎手に並びかけるようなものでした。デンマンほど勝つことに意欲的な馬はそういません」。
デンマンは2011年末に腱を損傷して引退した。通算成績24戦14勝(3着内6回)、獲得賞金114万1,347ポンド(約1億7,120万円)。
デンマンは2013年に死に至る可能性のある感染症に罹ったが克服し、引退生活の大半をチームチェイシング競走(訳注:英国の馬スポーツ。各チーム4人。クロスカントリーコースで競う)に費やした。その後、ディッチートのマナーファームステーブルに戻った。
ニコルス調教師はこう語った。「デンマンは引退後の生活も楽しんだ素晴らしい馬です。コッツウォルズでシャルロット・アレクサンダー(Charlotte Alexander)氏とともにチームチェイシングの大会に出た後、ディッチートに戻ってきました。そこでポール・バーバー氏の義理の娘エマに世話され、ほかの数頭の引退馬と一緒に放牧されていました。バーバー氏はほぼ毎日彼に会いに行き、彼の功績をとても誇りに思っていました」。
「デンマンは馬券購入者や競馬ファンに、親しみを込めて"ザ・タンク"と呼ばれていました。私はいつもそれをピッタリな表現だと思っていました。とても魅力的な馬で、一心に競走していたので、とても多くのファンを引き付けました」。
同調教師はこう付言した。「デンマンは、調教では特によく動くほうではありませんでしたが、無理をせず、競走のために最高の力を残していました。競走で強靭さ、力、あきらめない気持ちを発揮したので、手ごわい馬となりました」。
「デンマンは数年間、コートスターの隣の馬房にいました。主催者にとっては夢のようなコンビで、最初のチェルトナムでの対決は大いに盛り上がりました」。
「この2頭を管理したことをとても誇りに思います。なぜなら、2頭はこれまでで最高の障害馬だったからです」。
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デンマンに関する数字
RPR184:2008年チェルトナムゴールドカップ優勝後に獲得した自己最高のレーシングポストレーティング。
15勝:生涯勝利数。ポイント・トゥ・ポイント競走1勝、ハードル(置障害)5勝、フェンス(固定障害)9勝。
550 kg:絶頂期の体重。あらゆる意味で彼は大物だった。
6分47秒84:2008年チェルトナムゴールドカップの勝ち時計。
22ポンド(約10kg):2009年ヘネシーゴールドカップで優勝した時、2着のホワットアフレンドとの負担重量の差。
By Peter Scargill
(1ユーロ=約130円 1ポンド=約150円)
(関連記事)海外競馬ニュース 2015年No.27「伝説の障害馬コートスター、囲い馬場での事故により死亡(イギリス)」
[Racing Post 2018年6月6日「Cheltenham Gold Cup hero and jumps legend Denman dies aged 18」]