海外競馬ニュース 2018年01月25日 - No.3 - 2
クリスティアーヌ・ヘッド-マアレク調教師が引退(フランス)[その他]

 戦後の欧州競馬界において最も偉大な調教師の1人クリスティアーヌ・ヘッド-マアレク(Christiane Head-Maarek)調教師(69歳)は、2月1日をもって調教活動から引退する。

 同調教師は凱旋門賞(G1)連勝のトレヴを手掛けるなどG1競走をおよそ60勝した。1978年に初めて重賞勝馬を送り出し、1979年にスリートロイカス(Three Troikas)で凱旋門賞を初優勝した。また、特に牝馬でその才能を発揮し、英1000ギニー(G1)を4勝、仏1000ギニー(G1)を7勝した。

 ヘッド-マアレク調教師は1月21日、こう語った。「引退しようと思います。馬主には伝えており、すでに多くの馬が厩舎を去りました。1月末に発表するつもりでしたが、今では多くの人々が知っており、何も隠すことはありません。1月26日と2月1日に馬を出走させ、それで終わりとなります」。

 「ヴェルテメール兄弟(Wertheimer brothers)、ジャドモントファーム、アブドゥラ殿下、マクツーム殿下(モハメド殿下の兄)、そして父(アレック・ヘッド氏)のような素晴らしい馬主のために調教できてとても幸運でした」。

 「最初から優れた馬主に恵まれました。40年間を通じて優良馬に巡り合うことができ、一瞬一瞬を楽しむことができました。難しい決断でしたが、もうすぐ70歳になるので潮時です」。

 ヘッド-マアレク調教師は、英1000ギニー(ニューマーケット競馬場)を1983年にマビッシュ(Ma Biche)、1988年にラヴィネラ(Ravinella)、1992年にハトゥーフ(Hatoof)、2010年にスペシャルデューティ(Special Duty)で制した。このうちラヴィネラとスペシャルデューティは仏1000ギニー(ロンシャン競馬場)も制した(スペシャルデューティは両レースとも審議となった後に優勝が確定)。

 また、仏オークス(G1 ディアヌ賞)を1982年にハーバー(Harbour)、2000年にエジプトバンド(Egyptband)で制し、2013年にはトレヴが3頭目の仏オークス馬となった。

 ハトゥーフはカナダのEPテイラーS(G1)で優勝して3歳シーズンを締めくくり、翌年10月に英チャンピオンS(G1 ニューマーケット競馬場)を制した。そして、5歳シーズンにはビヴァリーDS(G1 アーリントン競馬場)で優勝した。これはヘッド-マアレク調教師にとって唯一の米国G1優勝となった。

 同調教師が手掛けた最高の牡馬は、父が生産し母が所有したベーリング(Bering)だ。ベーリングは1986年仏ダービー(G1 ジョッケークリュブ賞)を楽勝したが、不運にも同世代に歴史的名馬ダンシングブレーヴ(Dancing Brave)がいた。名勝負として語り継がれる1986年凱旋門賞で、ベーリングはトリプティク(Triptych)、シャルダリ(Shardari)、ダララ(Darara)、シャラスタニ(Shahrastani)をかわしたが、最後に大外を回って追い込んできたダンシングブレーヴにはかなわなかった。

 ヘッド-マアレク調教師は2005年にがんの治療を受けながら調教活動を続けた。しかしその翌年、ハトゥーフの馬主マクツーム殿下の急死、ヴェルテメール兄弟との間に生じた不和により、2名の重要な馬主からのサポートを失うことになる。これによりヴェルテメール兄弟の馬は、同調教師の兄フレディ・ヘッド(Freddy Head)調教師の厩舎に移されることとなった。

 しかし最高の快挙はその後、トレヴにより達成されることになる。トレヴは2013年凱旋門賞で1番人気の日本馬オルフェーヴルを驚くべき5馬身差で下して優勝し、その年のワールドベストレースホースに輝いた(ブラックキャビアと同時受賞)。また、その翌年に臨んだ凱旋門賞では、3連敗中にもかかわらずフリントシャー(Flintshire)を2馬身差で破り優勝した。

 トレヴは2015年、前人未到の凱旋門賞3連覇に挑んだが、ゴールデンホーン(Golden Horn)の4着に敗れた。そして通算G1・6勝の成績で引退した。

 トレヴ引退後の2シーズン、ヘッド-マアレク厩舎は伸び悩んだ。ピーク時には200頭だった管理頭数を徐々に減らしていた。しかし、管理馬がウイルスに感染するというどん底の2016年シーズンにおいても、ナショナルディフェンス(National Defense)でジャンリュックラガルデール賞(G1)を制した。

 引退という苦渋の決断を行ったヘッド-マアレク調教師はこう語った。「今年で70歳になります。いつの日かやめて他のことをしなければならないことは分かっていました。人生はそのように過ぎ、考えていたよりも少し早く決断が迫られました。個人的な理由もあり引退することにしました」。

 「もう少し自分のための時間を持ちたいと思います。たとえ素晴らしい人生を送ってきても、これは大変な仕事です。多くのビッグレースを制し、競馬界で見事なキャリアを積むことができました。おそらく人々に知られていないでしょうが、他の多くの調教師よりも沢山のG1優勝馬を手掛けたのですよ」。


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By Graham Dench and Scott Burton

[Racing Post 2018年1月21日「Training legend Criquette Head-Maarek to retire next month」]