華々しい40年間のキャリアにおいて欧州で最も洗練された調教師と言われるまでになったルカ・クマーニ(Luca Cumani)調教師(69歳)は、12月末にその調教師生活に終止符を打つ。
また、43年間拠点としてきたベッドフォードハウス調教場(Bedford House Stables ニューマーケット)からも身を引く。英ダービー馬2頭、そして1980年代と90年代には多くのスター馬がこの調教場から輩出した。
クマーニ調教師は10月22日(月)にこう語った。「光陰矢のごとしです。今こそ活動を段階的に縮小する時だと考えました。しかし、これは方向転換と言うよりもそれ以上のことだと考えています。来年からはフィトックススタッド(Fittocks Stud)での生産事業にすべてのエネルギーを注ぎます」。
歴史あるベッドフォードハウス調教場は1953年英ダービー馬ピンザ(Pinza)を送り出している。同調教師は息子のマット氏がこの調教場を引き継ぐ可能性を否定し、こう語った。「来年初旬にベッドフォードハウスを売りに出すでしょう。この件についてマットと話しましたが、彼はチャンスをつかむために豪州で活動しています。それにマットは豪州人のサラと結婚していて、もうすぐ第1子が生まれる予定です。あちらに住み続けるのは至極もっともな話です」。
クマーニ調教師は思い出がいっぱい詰まった宝箱を抱いて新たなステージに乗り出すだろう。調教師生活において、1988年英ダービー(G1)&愛ダービー(G1)をカヤージ(Kahyasi)、1998年英ダービーをハイライズ(High-Rise)で制したことでその名を轟かせた。
1970年代からクラシック競走3着内馬や重賞勝馬を送り出し、1984年英セントレジャーS(G1)をコマンチラン(Commanche Run)、1989年と2002年の愛1000ギニー(G1)をそれぞれエンスコンス(Ensconse)とゴッサマー(Gossamer)で制した。また1993年愛2000ギニー(G1)をバラシア(Barathea)で勝利した。
さらに同調教師は、ゾマラダー(Zomaradah)で1998年伊オークス(G1)を制している。この馬はその後ドバウィの母として有名になる。
バラシアは1994年BCマイル(G1 チャーチルダウンズ)で優勝し、クマーニ調教師の冒険に満ちたキャリアを象徴する馬となった。同調教師は海外で大きな成功を収め、1983年にはトロメオ(Tolomeo)が米国の最優秀芝牡馬ジョンヘンリー(John Henry)を下し、欧州調教馬として初めてのアーリントンミリオン(G1)優勝馬となった。
クマーニ調教師は他にも、インファミー(Infamy)で1988年カナディアンインターナショナル(G1)、アルカセットで2005年ジャパンカップ(G1)、プレスヴィス(Presvis)で2011年ドバイデューティフリー(G1)を制した。合計して11ヵ国でG1優勝を果たしたことになる。
また、もう1頭のスター馬ファルブラヴは英インターナショナルS、クイーンエリザベス2世S(G1)、エクリプスS(G1)などを制し、G1・5勝を達成した。
2015年夏には、ポストポンド(Postponed)がキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1)、セカンドステップ(Second Step)がベルリン大賞(G1)を制した。しかし同年、オバイド殿下がクマーニ厩舎に預託していた所有馬を引き上げ、その中にポストポンドも含まれていた。
クマーニ調教師はそれまでに、モハメド殿下とアガ・カーン殿下で同じような経験をしていたので、大物馬主の庇護を失うという打撃を受けるのは3度目だった。
クマーニ調教師とその妻サラは1984年、ニューマーケットの近くにあるフィトックススタッドを購入した。この牧場はすぐに頭角を現し、クマーニ夫妻はセリで生産馬を高値で売却することに成功した。
1999年、フィトックススタッドは後にミラン(Milan)と名付けられる1歳馬を65万ギニー(約9,896万円)で売却した。同馬はクールモアに所有され、2001年英セントレジャーSを制し、BCターフ(G1)ではファンタスティックライト(Fantastic Light)の2着となった。
さらにクマーニ調教師は多くの最優秀見習騎手を育て上げた。その中には、ジミー・フォーチュン(Jimmy Fortune)騎手、ジェイソン・ウィーヴァー(Jason Weaver)騎手、フランキー・デットーリ騎手がおり、彼らのキャリアは初期のうちにクマーニ調教師のしっかりした指導により形成された。
1989年に最優秀見習騎手となったデットーリ騎手は、現在47歳だが最高レベルで騎乗を続けている。同騎手は、同じイタリア人で最初のボスであるクマーニ調教師のこのニュースを聞いて唖然とし、こう語った「私の最初の反応は"ええっ!"というものでした。大変衝撃を受け、彼を見つけてすぐに健康と多幸を祈りました。ルカは私のキャリアにとても大きな影響をもたらしました。騎手を始めたときに多くのことを教えてくれました。14歳のときに大きな野望を持って彼の下で働き始めました。思春期でしたので、教えられたことは何もかも、まるでスポンジのように吸収しました。現在の私があるのは、彼が私の人格形成を助けてくれたおかげです」。
「騎手としてここまで成功できたことを彼に感謝しなければなりません。一緒に素晴らしい時間を過ごしました。私は彼に借りがあります。なぜなら彼は私のキャリアがうまくいくように尽力してくれたからです」。
クマーニ調教師は直近の21年間のうち20年間、重賞勝馬を出してきた。そしてサー・マーク・プレスコット(Sir Mark Prescott)調教師とサー・マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師に次いで3番目に長いキャリアに終止符を打つ。
By Julian Muscat
(1ポンド=約145円)
[Racing Post 2018年10月22日「Legendary trainer Luca Cumani to end illustrious career after 43 years」]