海外競馬ニュース 2018年11月22日 - No.45 - 4
最年長優勝トレーナーのジェリー・ボッゾ調教師、98歳で死去(アメリカ)[その他]

 ジェリー・ボッゾ(Jerry Bozzo)調教師は11月11日、98歳で亡くなった。同調教師は史上最年長で勝利を挙げたトレーナーとしてだけでなく、博学な紳士としても皆の心に残るだろう。

 ルカ・パニチ(Luca Panici)騎手はボッゾ厩舎の馬にしばしば騎乗していた。今年のガルフストリームパーク競馬場の夏開催では、ボッゾ調教師の自家生産馬ガスティウィンド(Gusty Wind)に騎乗して連勝した。同騎手は、「ジェリーは素晴らしい紳士でした。彼の管理馬に乗せてもらうのは光栄でしたが、彼という人物を知ることも大きな喜びでした。コールダー競馬場(現ガルフストリームパークウエスト競馬場)で乗り始めたときから知っています。優秀なホースマンであると同時に本当に素晴らしい紳士でした」と語った。

 ボッゾ調教師はカーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)とマサチューセッツ工科大学を卒業した。2017年6月3日にガルフストリームパーク競馬場でコットントゥーヤ(Cotton Tooyah)が4½馬身差の勝利を挙げたとき、同調教師は、故ノーブル・スリーウィット(Noble Threewitt)調教師が有していた最年長優勝トレーナーの記録を更新した。1911年2月24日生まれのスリーウィット調教師は、95歳の誕生日の2ヵ月後である2006年4月22日にサンタアニタ競馬場で未勝利クレーミング競走をスリーアトワンス(Threeatonce)で制してウィナーズサークルに立ち、最年長優勝トレーナーとなっていた。

 ボッゾ調教師は、2015年5月30日にガルフストリームパーク競馬場でフラッタービー(Flutterby)がシーリリーHを制したとき、すでに最年長ステークス優勝トレーナーとなっていた。その後フラッタービーはプリンセスルーニーS(G2)で2着となり、ステークス競走をさらに2勝した。

 フラッタービーに騎乗して、2015年にステークス競走を3勝したパニチ騎手は、ボッゾ調教師が手掛ける馬に乗ることと同時に、同調教師との付合いを楽しんできた。

 パニチ騎手はこう語った。「彼とのコンビでレースを制したときは、自分よりも彼が勝てたことを嬉しく思いました。彼は馬を調教し、レースで勝たせて、良い状態をキープさせてきました。それに、彼は第二次世界大戦に行くなど、驚くべき経歴を辿っています。彼とはいつも楽しいときを過ごしました。朝の調教で彼と話すのは、仕事以上に大きな喜びでした」。

 ボッゾ調教師は、第二次世界大戦の退役軍人であり、航空技師であり、実業家であった。1969年に自らがペンシルベニア州で経営していたボトル製造会社を売却し、1970年代から南フロリダでサラブレッドの生産・調教活動を行っていた。

 ボッゾ調教師の長年の友人であるフィル・コンベスト(Phil Combest)調教師はこう語った。「ジェリーとの一番楽しいひとときは、馬に関係のない話をするときでした。私たちは野球ファンで、1ヵ月前にも野球について話したばかりでした。彼は最期まで頭もしっかりしていました。私たちは熱心なマーリンズファンでした」。

 ボッゾ調教師は10月25日に98歳の誕生日を迎えたばかりだった。葬儀は本人の遺志により行わない予定。


By Blood-Horse Staff

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[bloodhorse.com 2018年11月14日「Trainer Jerry Bozzo Dies at 98」]