フランキー・デットーリ騎手は、2月6日にケンタッキーにおいて22歳で死んだゴドルフィンのトップマイラー、アルジャブル(Aljabr 父ストームキャット)についての思い出を語った。
デットーリ騎手はサイード・ビン・スルール(Saeed Bin Suroor)厩舎のアルジャブルに騎乗して、G1競走を3勝した(サラマンドル賞・サセックスS・ロッキンジS)。
同騎手はこう語った。「アルジャブルは傑出したマイラーでした。もっと才能を発揮するはずでしたが、怪我のためにあまり出走できませんでした。先行を得意とし、サセックスSでコースレコードを打ち立てた日は絶好調でした。怪我をしましたが、4歳シーズンに見事に復帰し、ロッキンジSで優勝しました」。
アルジャブルは不運にも、ゴドルフィンの偉大な馬ドバイミレニアム(Dubai Millennium)と同世代であり、また怪我のために1シーズンに3回ずつしか出走できなかった。しかし、2歳~4歳シーズンに毎年G1を制した。
2歳シーズンは、ヴィンテージS(グッドウッド)、サラマンドル賞(ロンシャン)を制して無敗で終え、カルティエ賞の最優秀2歳牡馬に選出された。モハメド殿下がケンタッキーダービー(G1)挑戦に夢中にならなければ、アルジャブルは翌年の英2000ギニー(G1)で最有力馬となっていただろう。アルジャブルのケンタッキー遠征は、後肢に跛行を発症したことからレース前日に出走を取りやめ、失敗に終わった[それでもゴドルフィンはアイランドサンズ(Island Sand)で英2000ギニーを制した]。
アルジャブルはニューマーケットに戻った後、セントジェームズパレスS(ロイヤルアスコット開催)に挑んだが、一流マイラーであるセンダワール(Sendawar)の2着となった。しかしその翌月、サセックスSでドックサイダー(Docksider)をねじ伏せ、コースレコード1分35秒66を樹立して優勝した。
アルジャブルはムーランドロンシャン賞(G1)でライバルのセンダワールと競っているとき膝を負傷した(センダワールが優勝。アルジャブルは4着)。そのため、ブリーダーズカップに挑むために再び米国へ遠征する夢を打ち砕かれた。しかしアルジャブルはドバイで冬を過ごした後、4歳シーズン初戦のロッキンジSでトランスアイランド(Trans Island)を下して再びG1優勝を果たした。
アルジャブルは2001年、生まれ故郷であるシャドウェル牧場(Shadwell Farm)で種牡馬入りした。2008年にはカナダのオンタリオ州のアスコットスタッド(Ascot Stud)に移動した。11年間で202頭の産駒を送り出し、そのうち91頭が勝馬となった。最も優秀な産駒には、2008年にカナダのクラシック競走を制した牝馬ノーザンクレイズ(Northern Kraze)がいる。
アルジャブルは種牡馬引退後、2013年からシャドウェル牧場で過ごした。そこに埋葬される予定である。
By Graham Dench
[Racing Post 2018年2月9日「Dettori pays tribute after death of top miler Aljabr」]