競馬界がその主役である馬に対して責任を果たし、競走馬が引退したときに適切なケアが行われることを望む人々にとって、心強い時代になりつつある。
競馬界がアフターケアの提供を向上させられるように、さらに重要なことに、数々の改善が行われている現状を一般の人々に示せるように、ゆっくりと着実に、意識が集中され行動が起こされているのだ。
しかし、このよくよく考えられた方針変更は勝者だけでなく敗者も生み出すことになるかもしれない。福祉水準を向上させるために2019年に創設された馬福祉委員会(Horse Welfare Board: HWB)は、既存の大規模リハビリセンターを持続させる義務があるとは基本的に考えていない。ただ、このようなリハビリセンターで最も古いものは実に30年以上の歴史があるのだ。
HWBのスタッフはリハビリセンターではなく馬を支援することを固く決意している。そうした中で、リハビリセンターの1つである、オックスフォードシャーにあるヒーローズ(Homing Ex-Racehorses Organisation Scheme: HEROS)が最近、アフターケアを供給する"主要パートナー"に指名される一方で、ランカシャーにある別のリハビリセンターは深刻な財政難に陥り閉鎖の危機に直面している。
元ジャーナリストで現在は英国サラブレッド再調教センター(British Thoroughbred Retraining Centre: BTRC)の会長を務めるジョン・セクストン氏は「ひどい状態です」と語る。1991年に8馬房を借りて創設されたBTRCは、グランドナショナルの優勝馬ハローダンディに提供したアフターケアサービスの実績もあって知名度を上げた。やがて専用地として200エーカーの元酪農場を購入することができ、45馬房と優れた施設を備えた。
セクストン氏によれば、その購入は"競走馬の再調教(Retraining of Racehorses: RoR)"の後押しにより2004年に実現したものだという。RoRは当時、そしてその後10年にわたりBTRCにとって重要な資金源だった。ところがその資金提供は2017年に終わってしまった。セクストン氏の説明では、当時のRoR会長ポール・ロイ氏とのあいだで資金調達の基本的考えをめぐって口論になったらしい。
BTRCは競馬財団(Racing Foundation)からの支援でコロナ禍を乗り切ったが、セクストン氏は競馬産業からの新たな支援を心底必要とするBTRCの実情を訴える。彼は怒りと非難に満ちたメールをRoRに送信し、8月5日(金)夜に出したプレスリリースでそうした苦情を公にした。RoRの振舞いを"スキャンダル"と呼び、"何百頭もの馬を危険にさらしている"と述べたのだ。
セクストン氏は、BTRCは"破産寸前"であるとしこう説明した。「文字どおり毎月なんとかやり繰りしています。所有地を購入するよう勧められたので、そのために生じている維持費・住宅ローン・諸経費すべてを自分たちで負担しています」。
「だから"破産"と言っても運営するための資金があるかどうかという点にかかってきます。というのは、私どもは200エーカーの敷地を所有していますから、いざというときにはそれを売却することもできます。最終手段としては土地を売却して、ほかの慈善団体にお金を配るということになるでしょう」。
BTRCは現在も、馬を預託してくる人々・遺贈寄付・熱心な支援者の毎月の寄付から収入を得ている。「しかしBTRCの運営には年間約40万ポンド(約6,600万円)、あらゆるコストが上昇している現在ではおそらく50万ポンド(約8,250万円)近くかかるでしょう」とセクストン氏は述べる。
45馬房のセンターにしては心配になるほど高い運営費に見える。とりわけ、効率的で費用対効果が高く持続的な方法によって責任あるアフターケアを組織しサポートしようと考える者の目には、高いものに映るだろう。BTRCは規模と歴史に恵まれている。しかしヒーローズが獲得した"主要パートナー"契約には60ものアフターケア提供者が応募しているので、資金提供者たちにはさまざまな選択肢があることが分かる。
もちろんそれは問題の一部にすぎない。昨年のアフターケア資金調達見直しでは、"アフターケア部門は断片的で構造や一体性を欠く"と評された。
サセックスにあるムーアクロフト馬リハビリセンター(Moorcroft Equine Rehabilitation Centre)のナイジェル・ネヴィル会長はこう語った。「小さな組織はたくさんありますが、私たちのように豊富な経験や知識がありません。私たちは長年にわたってこの仕事を続けてきたと言わずにいられません。この事業を行っていくのに十分な経験と知識があり、極めて得意としているのです」。
「機会をもらえれば、これまでやってきたことをさらにレベルアップさせます。今までもすごくうまく取り組んできました」。
ムーアクロフトもBTRCと同様に数年前にRoRの資金提供を打ち切られた。そこでネヴィル氏は、事業をサラブレッドに限定せず、すべての馬種を受け入れるよう定款を拡大することで対応した。
「多くの元競走馬のアフターケアも含め、かなりたくさんの人々を助けており、ひたすら事業を続けています。それはうまくいっていて、依然として私たちの慈善活動の目的の範囲内で活動しています」。
「ただうまくいっているのは確かですが、競馬産業が落ち着きを取り戻して資金を提供してくれるまでの一時的な措置にすぎません」。
「ムーアクロフトは立派な施設です。専用の建物と90エーカーの土地を所有しています。世界最高のコースを敷設し、最高のデモンストレーションを行っています。それにこの施設を継続させるために常にアイデアを出しているのです」。
「今後もこのように収入を得て請求書の支払いを行い、私たちの慈善活動の目的に即していくということであれば、できるかぎり長くここで活動するつもりです。でもそれはすごく難しいことなのです」。
ネヴィル氏は、グレース・ミュア氏率いるヒーローズが競馬界の"主要パートナー"に指名されたことを喜んでいると述べた。
「それは良いことです。しかしムーアクラフトは卓越した施設です。経験も知識も豊富です。HWBのプレゼンでは私たちは僅差の2位で、ぜひとも私たちと一緒に仕事をしたいというのが全体的な意見でした。私たちがどう協力できるかを考えるためにHWBは連絡をくれるでしょう。とても励みになりましたね。以前の良かったところがそのうち取り戻されるのではないかと元気づけられました」。
HWBのアフターケア・プロジェクト・マネージャー、フランチェスカ・コンポステーラ氏は英国の長い歴史のある里親探し&再調教センターに多くの価値はあると思っている。
「たとえば、長年にわたって構築してきた里親候補のネットワーク、提供できる教材、診療所を提供できること、必要なときに馬に休養を与えられることなどです」。
しかし彼女は、そういったセンターへの馬の流れを止めたいと思っている。そしてよくあるパターンになっているルートを挙げた。それは、調教師が信頼できる有能な人に馬を渡し、その人が別の人に馬を渡し、最終的に馬に対応できない人のもとに馬が行き、その時点で馬が幸運なら脆弱な馬の救済制度(Vulnerable Horse Scheme RoRが資金提供)のもとで再調教センターに送られるというものである。
コンポステーラ氏はこう続けた。「それではいけないのです。というのは、結局知らず知らずのうちにふたたび、馬ではなく個人を支援するということをやってしまっているのです」。
「私たちはリハビリセンターではなく個々の馬のために役立ちたいのです。馬にとって一番良い道とは何なのでしょうか?それを実現するには人々はどのように連携すれば良いのでしょうか?」
また彼女は「適応する準備ができているかぎり誰にとっても悪いニュースではありません」と主張する。
「たしかに、今そこにいる労働者がやっているよりも、様々な重要な仕事が実施される必要があるのです。結局、その仕事を労働者がやりたいと思うかどうかです」。
「情熱も知識もあるのだから、彼らがやるべきではない、もしくはやりたくないとする理由はないと私は考えます。リハビリセンターでは彼らが仕事を継続し拡大させるチャンスがあります」。
「彼らは"一番得意としているのは馬に跨って再調教して世に送り出してやることだ"という考えから脱却しなければなりません。彼らが本当によく取り組んでいることは認識しています。しかし3ヵ月もすればどうなっているか分かりません」。
コンポステーラ氏はリハビリセンターにとって教育こそが成長分野であると見なしている。つまり里親候補に対して競走馬・競走馬が必要とするもの・競走馬をどのようにケアするかについての教育を行うことである。
「それにハブ機能を発揮してほかの慈善団体と協力関係を構築しなければなりません。人間の精神的な健康を馬でサポートする活動をしている慈善団体もあります。彼らは馬をもつ慈善団体、もしくは馬がいる施設と協力しなければ目的を達成することができません」。
「アフターケアセンターはそういう役割を果たす上で申し分のない位置にいると言えるでしょう。"馬がどれほど多才であるか"や"馬が人間にもたらす恩恵"を示す科学的根拠があります。分からないのは、なぜ一般の開業医がこのサービスをもっと利用しないのかということです。何が制約的要因となっているのでしょうか?」
「では、それを見つけ出し、人間をサポートし、馬のセカンドキャリアを創り出していくのは誰なのでしょうか?馬を扱ったことのある人たち、再調教ができて馬を転身させる方法を知っている人たちです。なぜなら、彼らは過去25年にわたってそれをやってきたからです」。
「馬に跨って再調教することは今以上に必要ありません。もう1つ、別のことをやってほしいのです。もう一歩踏み込んでほしいのです。どうしたら馬が必要不可欠な存在になれるかを考えだしてほしいのです。それこそセンターが得意とするところです」。
コンポステーラ氏によれば、今回の変更は支援を必要とする元競走馬を把握するためのセーフティネットを拡大するために行われたものである。
「当初の"脆弱な馬の救済制度"はまだ並行して機能しているのです。つまり資金調達の観点から言えば、センターにとっては何も変わっていないのです。それどころかアフターケアに割り当てられる資金が増えたのです」。
マールバラ近郊にある里親探しセンターのグレートウッド(Greatwood)の創設者兼社長ヘレン・イェードン氏にとってこの言葉は心地よく響く。彼女は30年近く続いてきたこの慈善事業がこれからも続いていくことを願っている。
「競馬が大好きで、競馬に関するすべてが大好きなのです。素晴らしい見事なサポートを受けてきて、今でも競馬界から支援してもらっています。終始ずっとです」。
「ありがたいことに、最初に始めた3つセンター以外にも、今ではたくさんのセンターを運営しています。当然RoRは財政を検討して余裕のある範囲で資金を配分しなければなりません」。
「私たちは年間5万ポンド(約825万円)をもらっています。どの時期においても平均34頭~45頭がここにいるのです。RoRは先見の明があり、私たちを最初から支援してくれました。特別な教育を必要とする若者や子どもたちを、元競走馬を使って教育する、英国、おそらく欧州で唯一の場所だったのです」。
イェードン氏は"主要パートナー"という役割で売り込まないことに決めた。
「私たちの施設ではできないことを彼らはやっているのです。ヒーローズの施設は、私たちのものよりも優れています」。
「将来これらの現役を引退した競走馬がすべて素晴らしいキャリアを見つけることができるなら、賞賛したいと思います。指名された慈善団体はそれをやるのに最高の施設を持っていると信じています。確かにグレートウッドにそれはありません」。
「だからグレートウッドが競馬界において支援されることを望んでいます。でもそれまでは、HWBと進んで引き受けたグレース・ミュア氏の成功を祈っています。大きな挑戦です」。
「私たちは通常どおりに継続すべきです。グレートウッドを変えるつもりはありません。来年は創設30周年になります。これまで何百頭もの競走馬をここに迎えてきました。だから、活動するうえでの精神や信念を変えるつもりはありません」。
「ここにいる馬は高齢であり、馬主と競馬界によく貢献してきました。そしてそれこそ私たちが続けていくことなのです。彼らはここで変わらず仕事を続けていくのです」。
ワンタージ近郊のノースファームスタッドにあるヒーローズの拠点では、ヒーローズとRoRのあいだでサービスレベルの合意書が交わされていた。のちにいくつかの拡大が必要となるだろう。
ミュア氏はこう語った。「競走を引退して将来が保証されていない馬を世話できるようになるわけですから、とてもワクワクします」。
「大きなニーズがあると思いますし、競馬産業が現在この問題に重点を置いているのはとても良いことです。本当に前向きなニュースです。それに私たちだけではありません。ヒーローズはアフターケアの"主要パートナー"ですが、この地域でほかにも活動する慈善団体も出てくるでしょう」。
ミュア氏は大きな仕事を引き受けたと自覚している。しかしあるRoRの統計によると元競走馬の91%は里親探しの慈善団体や商業的な再調教を経ることになしに、調教師から新たな馬主に直接譲渡されるという。彼女は引退していく競走馬すべてに手を挙げているわけではないのだ。
ミュア氏はこう続けた。「海外遠征する馬、繁殖牝馬になる馬、調教師や馬主が自らが里親を探してくれる馬がいます。そのような幸運に恵まれない馬たちのために私たちは役立ちたいと思っており、将来的にはトラブルに巻き込まれた馬のセーフティネットとなることを望んでいます」。
今週はヒーローズにとって重要な週となる。8月13日(金)には年に一度のチャリティレースデーがニューベリー競馬場で開催される。競馬界での新たな立ち位置を考慮すると、このイベントの重要性はさらに増すだろう。
「素晴らしいです。これまでチャリティレースデーに迎えた中でも最多の140もの人々が集まるのです。馬の福祉にとってエキサイティングな時代です。このまま軌道に乗っていけば誰もが多くの仕事に貢献できることになると確信しています」とミュア氏は語った。
By Chris Cook
(1ポンド=約165円)
[Racing Post 2022年8月7日「'It's a scandal' - winners and losers as racehorse aftercare is transformed」]