ある聡明な調教師が、ほかの調教師の奥さんについてコメントできても馬については議論できないと言ったことがある。おそらく誉めるよりも悪態をついてしまうと言いたかったのだろう。しかしドバイシーマクラシック(G1 3月25日 メイダン)で見事な勝利を収めたイクイノックスについてさまざまな調教師が"地球上で最高のサラブレッド"と称賛しているのを聞くと、とてもさわやかな気持ちになる。
どのような分析をしようが、愛ダービー(G1)優勝馬ウエストオーバーを3½馬身差で楽々と破ったのだから、イクイノックスはまったく別格と考えるのが妥当な評価だろう。
レースの翌日にウィリアム・ハガス調教師と話したとき、この馬がいかに特別な存在であるかを思い知らされた。バーイードにほぼ完璧なレースキャリアを送らせた男が、ドバイでのイクイノックスのパフォーマンスはこれまで目の当たりにした1½マイル(約2400m)のレースの中で"最高"だったと言うと、大げさに思える評価もすべて信じられるようになるものだ。一流調教師の中でそのように言うのはハガス調教師だけではなかった。実際、ニューマーケットのご近所さんであるロジャー・ヴェリアン調教師はイクイノックスがメイダンを極めるずっと前からこの牡馬を最高傑作と称えていたのである。
ヴェリアン調教師は3月末に調教場でこう語った。「実は12月に有馬記念(G1)を見に行ったのです。帰って来てみんなに『今まで見た中で最強馬だと思うんだ』と言いました。すごい勝ち方をしましたからね。ドバイでそれを裏づけるような走りを見せてくれたのは素晴らしいことでした」。
ビッグレースのあとにいつも話題となるのは、競馬界に新たに現れた驚異的な日本馬が今後どのような進路を辿るのかということだ。ドバイシーマクラシック直後の話題の中心は無理からぬことだが、凱旋門賞(G1)への挑戦の可能性だった。日本のこのレースへのこだわりは、ホワイトマズル(社台ファームの総帥・吉田照哉氏の所有馬)がアーバンシーに首差で敗れた1993年にまでさかのぼる。
もちろん日本にはイクイノックスの関係者が検討する数多のビッグレースがあり、天皇賞(秋)(G1)や有馬記念の連覇も視野に入れているだろう。しかしクリストフ・ルメール騎手は3月末に話したときに、重要なターゲットとしてブリーダーズカップ開催があがっていることを示唆したようだった。
英国競馬の観点から気になるのは、この馬に近い人々が英国のミドルディスタンスのG1競走について一切言及しないだけではなく、誰もが"英国遠征を検討するつもりはあるか"と聞く価値すらないと思っている点である。世界一のターフホースをめぐる会話で、英国は触れられることすらない段階に本当に到達してしまったのだろうか?そのような状況になっているようだが、このことに怒りを抱いているのは私1人でないことを願うばかりだ。
アスコットの勧誘チームがかなり前にイクイノックスの関係者に連絡をとったのは間違いないだろう。しかし競馬界はこの10年で劇的に変化していて、そうではないと考えるのは愚かなことだろう。英国で問題が指摘されているにもかかわらずほとんど手が打たれてこなかったあいだに、ほかの競馬国では将来に向けた投資が行われてきたのだ。それは日本の輝かしい繁殖牝馬群を見るだけで分かる。それに中東の賞金を英国の賞金と比較するのは、ブルジュ・ハリファをBTタワーの隣に並べるようなものだ。
英国競馬界の世界のリーダーとしての地位を保つために、私たちはあまりに長いあいだその名声と数世紀にわたる歴史に頼ってきた。けれども世界的な評価を得るという点では、英国で自らの実力を発揮することは今では"的外れ"というところまでどうやら来ているようだ。少なくともウィンクスではそれが議論の対象となったが、イクイノックスではそれすらない(訳注:G1・25勝の名牝ウィンクスは2018年のロイヤルアスコット参戦を検討したが辞退)。
日本のビッグレースの日程が秋・冬・春に充実していることを考えると、英国の夏の開催日程は何としても休養が必要なイクイノックスにとって理想的だとは言えないかもしれない。
また、予測できない天候についても考えなければならない。速くて平坦な馬場を得意とする日本馬にとって、サウジアラビアやドバイはまるで故郷にいるような環境であり、リスクは大きく軽減される。一方、過去4年のうち3年のロイヤルアスコット開催で馬場状態が"不良"や"重"だったことを考えると、欧州では何も保証されていないことになる。しかし日本人は10月の凱旋門賞がどちらかと言えば悪い馬場状態であると分かっていても、いつも積極的に賭けに出ている。
7月の最終土曜日にアスコットで施行されるキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1 約2400m)の方が、速い馬場を提供するのでずっと安全な賭けになると主張するのは簡単だろう。しかしキングジョージはもはや凱旋門賞と同レベルではないという悲しい現実がある。実際には足元にもおよばないのである。
第一に昨年のキングジョージの総賞金は125万ポンド(約2億625万円)だったが、凱旋門賞の総賞金は500万ユーロ(約7億2,500万円)だった。日本人にとって結局"お金"ということになるのかどうかは疑問だが、何よりも重要なのは"レガシー(遺産)"を手に入れるチャンスであり、キングジョージはもはやそれを提供できるレースではない。昨年の凱旋門賞でアルピニスタは19頭のライバルを撃退しなければならなかったが、パイルドライヴァーはわずか5頭と対戦してキングジョージを制した。2020年と2021年のキングジョージの出走馬も、わずか3頭と5頭だった。この2つのレースでは凱旋門賞のほうが断然格式が高い。
世界中に巨額の賞金を手に入れることができる高速馬場がある中、世界最高峰の競走馬が英国で最も知名度の高いレースにさえもますます見向きしなくなる様子を、英国競馬界は羨望のまなざしで傍観せねばならぬのだ。
By Lewis Porteous
(1ポンド=約165円、1ユーロ=約145円)
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