トム・マーカンド(25歳)をインタビューのために拘束するのは難しくなっている。
これまでの不遇を考えれば、マーカンドは多忙なスケジュールをまったく歓迎していないというわけでもない。今年は出だしから混乱があり、最近も4日間の離脱を余儀なくされた。しかし、これまでジョッキーには耐えなければならない多くの障害があった。
4日間の離脱の原因は肘の近くの縫った傷跡だった。英2000ギニー(G1)の前日、リステッド戦でダービー有望馬ワイピロ(Waipiro)に騎乗しようとしていたとき、ライバル馬がこの傷跡を蹴ったのだ。奇妙なことに蹴られるのは2回目のことだった。
この忌々しい怪我により、マーカンドはギニー競走での騎乗をあきらめざるを得なかった。2月の落馬から回復しつつある中、リーディングタイトル獲得に向けてこれ以上失速したくないと意気込んでいる。
チェスター5月フェスティバル(5月10日~12日)とヨークのダンテフェスティバル(5月17日~19日)で勝利を収め、ロンシャンでのG3競走を制し、ソールズベリーで1日4勝を達成するという目まぐるしい1週間を過ごした。そのため、インタビューのために時間を確保するのはかなり骨が折れる作業だった。しかしウィリアム・ハガス厩舎(ニューマーケット)とホリー・ドイル騎手と住む家(ハンガーフォード)の中間地点であるバークシャーのカフェでようやく対面したチェルトナム生まれのジョッキーはとても話しやすかった。
マーカンドはこう語った。「今年に入ってずっと運に見放されていますね。またこんなことが起こるなんて奇妙ですね。3年前に豪州のランヴェットS(G1)でアデイブに騎乗してベリーエレガントを下して優勝したときに骨折しましたが、あれとまったく同じことが起こったのです」。
「低い位置だったから蹴られたのだと思われるかもしれませんが、鐙の上に立っていたので、馬が私の腕に届くほど高く蹴り上げるとは思いもよりませんでした。その馬に近づいてもいなかったのです。おそらくもっと離れているべきだったのかもしれませんが、チェスター5月フェスティバルを見据えながら脇役を演じるわけにはいきませんでした」。
怪我を予定よりも早く治すことはマーカンドにとっては当たり前のことかもしれないが、迅速に復帰するという決意には異議を唱えづらい。結果がついてくるからだ。
2ヵ月前、彼は豪州でのひどい落馬のせいでもっと長く離脱しなければならなかった。脳震盪と肩の手術のために8週間の休養が宣告されたが、マーカンドはそれを5週間に縮め、クイーンエリザベスS(G1 ランドウィック 4月8日)にぎりぎり間に合うように復帰した。
彼はこう振り返る。「悪夢でしたね。豪州で1週間も経たないうちに2勝して、"素晴らしい、行けるぞ"と思ったのです。勝算の高い騎乗をたくさん予約していたのですが、そこで落馬してしまったのです」。
「かなりひどい状態でした。しかし脳震盪を起こして頭をやられていて、4日間そのように診断されませんでした。落馬した当日のことは覚えていないのですが、どうやら肩の痛みを訴え続けていたようです。最終的にMRIを撮るよう説得し、そのまま手術することになりました。今までではるかにひどい怪我でした」。
落馬について順序立てて話すときのマーカンドのしかめっ面は、ざっとした状況説明よりずっと多くのことを物語っているが、そもそも彼は消極的なことをだらだら話す人物ではない。インタビュー対象者に求められる「親しみやすい」「感じが良い」といった資質が備わっているとの評判だ。だから療養中にイライラした一面を見せていたとは想像しがたい。
「ホリーが同じ時期に肘を怪我していたので、一緒にリハビリができたら素晴らしいだろうと考えていたのですが、ひどいものでした。2人とも痛みを抱えていて、イライラしていたのです。おりしもG1馬2頭を逃してしまいました。8週間も休んだらドバイオナーを失ってしまうと分かっていたので、必ず間に合うようにしたのです」。
今回も復帰を果たすと結果がついてきた。マーカンドは豪州のスター馬アナモーを負かして、自身にとってのクイーンエリザベスSの3勝目をマークした。この勝利は喜びよりも安堵をもたらした。
「勝てるとは思っていませんでしたね。自分にはチャンスがないと認めていたのですから」。
「ようやく復帰したのですが、現実的に勝てない日に彼に乗るのだと自分に言い聞かせていました。期待しすぎないようにそのような手順を踏むわけです。だから、勝ったときにはホッとしましたね。無理をして間に合わせた甲斐があったというものです。最も満足のいく復活でした。早く戻ってきたことが正当化されました」。
マーカンドが達成した国際的な勝利は、今回のドバイオナーのシドニーでの勝利にとどまらない。ウィリアム・ハガス調教師との実りの多い協力関係を深めたアデイブで、これまでこのレースを2勝している。また香港と中東への定期的な遠征に加え、昨冬には日本で初めての短期騎乗を経験した。故郷英国での夏を目前に控えているが、マーカンドは年末にふたたび日本に行くことをすでに検討している。世界中で騎乗したいという意欲はまだまだ満たされていないようだ。
「世界中を飛び回るのが好きなのです。そのライフスタイルにのめり込んでいますね。それにすぐに退屈してしまう性質なのです」。
「日本は素晴らしかったですね。とてもエキサイティングで、これまで経験したことのないくらい根本的に異なる国でした。都会には住んだことがなく住みたいと思ったこともなかったのですが、東京のビジネス街の真ん中に滞在してみて素晴らしいと思いました」。
マーカンドは日本競馬の長所を熱く語る。また、その実りある海外遠征が彼の競馬に関する考え方を作り上げている。
「日本で美容院に入ったら、美容師の方が私のことを知っていたのです。たしかに、東京では背の低いイギリス人として目立っていたことでしょう。でも日本の競馬に対する情熱は飛び抜けています。シドニーでも同じで、競馬は彼らの文化の一部です。それを英国は失ってしまったと思いますね」。
「私たちは一般の人たちによりよく競馬を知ってもらうようにできるはずです。豪州はその点うまくやっています。観客はレースのあとのパーティーを楽しむために来るのです。しかしドバイオナーで引きあげてきたときちょうど前にアナモーがいて、観客は一斉にブーイングと野次を飛ばしていましたね。それほど彼らは競馬にのめり込んでいるのです。英国もそういうところがもっと必要ですね」。
「世界中で競馬が成功する商品であることは証明されています。だから、競馬を絶対に支持しない人たちを喜ばせようとするのはやめるべきです。エイントリー競馬場の抗議行動にはおよそ300人が集まりましたが、今日もっと多くの人がこのカフェを訪れるでしょう。私たちは少数派におもねるという罪を犯しています。それは英国競馬の破滅につながりかねません。解決策を見つけ出せるほど利口ではありませんが、多くのことをしなければならないことは分かっています」。
今や10シーズン目を迎えるマーカンドは意見を言うことに自信を持ちつつある。一流ジョッキーという立場が板についてきたのだ。最近生じた騎手と騎手協会(PJA)のあいだの不和をきっかけに、競馬産業の問題にいっそう関わっていくという意欲は高まっている。また、競馬一家の出身ではない彼は、PJAのイアン・マクマホン会長など競馬界の外にいる人々の視点の価値を認めている。
「競馬界の外部の人々の声を聞くことは大きな助けになります。私にとっては精神的に良いものですね。両親に電話すると"よくやった。2着だ"と言ってくれるのですから。負けたばかりだと頭に来ますが、すべてにおいて視野が広くなるので、そういう意見を聞けるのは良いことではないでしょうか」。
「競馬界に入るように家族に駆り立てられたことはありません。競馬一家の出身であれば、それは明らかに大きなアドバンテージになりますが、競馬から完全に離れられないという点もあります。誰もがいつも競馬のことを話しているのですから」。
マーカンドが馬を知るようになったのは祖母のおかげであり、チェルトナムの近くに住んでいたことが競馬の世界に飛び込むきっかけとなった。
「祖母はハンティングや総合馬術によく出場していました。しかしチェルトナムの近くに住んでいたことが競馬を本当に知るきっかけになりました。祖母は馬場馬術に出場するためにサラブレッドを1頭持っていました。その馬は英国の障害飛越のチームに所属していたこともあるのです。2歳ぐらいのときに初めて騎乗したのがその馬で、調馬策をつけて回っていましたね」。
「小さい頃からジョッキーになりたかったのです。4歳ぐらいのときに正式に乗馬を始めました。姉はポニーでフェンスを飛越する練習をしていたのですが、そのポニーが逃げてしまったのです。彼女はもう馬に乗ろうとはしなくなりました。私はというと、馬に乗せてもらえるまで隅っこに立って泣いていました。それ以来、ずっと馬に乗っているのです」。
マーカンドは障害競走に進むことをも考えていたが、14歳のときにトニー・キャロル調教師のもとで騎乗することになり、最終的に平地競走に落ち着くことになる。ポニーレースでドイルと出会い、彼女の父マークが橋渡し役となり、米国のトム・モーリー厩舎で短期騎乗した後のマーカンドはリチャード・ハノン厩舎に所属することになった。そこから彼のキャリアは開花し、2014年12月に初勝利を挙げると、翌年にはリーディング見習騎手に輝いた。前途有望なビリー・ロックネイン騎手(訳注:1月に20勝以上を挙げ英国の騎手ランキングのトップに躍り出た16歳の騎手)のファンにとっては聞き覚えのある華々しい出世だが、マーカンドはその比較を嫌がってはいない。
「先日、ビリーのインタビューを見たのです。見習騎手だったころの自分を思い出して笑ってしまいました」。
「16歳や17歳のころは、将来のことや、リーディングジョッキーになるという野望に対して無邪気なものですね。競馬界に入った誰もがその夢を抱いていて、それが競い合うことの原動力になっています。最近彼がインタビューに答えているのを見て、実際あのころに戻ったような気がしました」。
リーディングタイトルを獲得するための野望はもはや無邪気な夢ではなく、ずっと現実的なものになっている。マーカンドは今シーズンの出鼻をくじいた怪我により尻込みさせられたかもしれないが、敗北を認めるつもりはまったくないようだ。
「100勝以上できれば、その年は良い年だと考えるようにしています」と過去5シーズンその目標を達成していたマーカンドは言う。「そうするとリーディングタイトルのことが頭によぎります。その範囲に入ればそれをちらちら見なければならないという状況になるのです」。
「今年もおそらくほぼ不可能だということは分かっていますが、それを念頭に置かないとなると、おそらく自分の首を絞めていることになるのです」。
「今シーズン初めの出来事は、何が起こるかわからないということを教えてくれました。ある瞬間は舞い上がるように調子が良かったのに、次の瞬間には離脱を余儀なくされたり、不運が続いたり、そして突然好転したりするものなのです。それが競馬ですね」。
「リーディングジョッキーを目指さないのであれば、ジョッキー自体になるべきではありなせん。シンプルなことです。"うまく行くはずはない"ということを受け入れる境地に達している人はいるのかもしれませんが、私はまだその道を歩んでいて実現させようとしているのです」。
マーカンドは昨年ドイルとともにウィリアム・ビュイックに次ぐ2位になり、タイトル獲得に近づいた。夫婦はレースでは2人のあいだにライバル意識はないと主張しながらも、2位争いはシーズン最終日の英国チャンピオンズデー(アスコット)までもつれた。
「とても奇妙でしたね。ウィルが勝つのはずっと前から明らかでしたし、それにふさわしい騎手です。ホリーも私も彼のことをとても尊敬しているのです」。
「ウィルが首位に立っていることは分かっていたので、タイトル争いについては気にしていなかったのです。でも最終週になって、私たちは2人がすごく拮抗していることに気づいたのです。彼女は何勝か挙げていて最終日にトゥルーシャンで優勝しました。しかしベイサイドボーイが単勝34倍でG1を勝ったので、私たちは結局同じ勝利数で2位となりました。すごく面白かったですね。夫婦で2位タイになるなんてチャンスはまたあるのでしょうか?でも、一緒に1位というのもいいものですね」。
インタビューを終えるのにふさわしい考えである。しかし別れようとしているときに、マーカンドは次の理想を思い描いていた。豪州馬でG1を勝つこと、国際舞台で日本のためにすごい騎乗をすること、そして米国で騎乗するチャンスを得ることを視野に入れていたのだ。また、初のリーディングタイトル獲得は常に最大の目標だ。
その前に、マーカンドは英2000ギニーに出走しそこなった雪辱を6月のダービーでワイピロとともに晴らそうとしている。この馬をキャンターでゲートまで無事に導くことができればの話だが。
マーカンドはこう語った。「ギニー競走やセントレジャーSはいくらでも勝てるでしょうが、ダービーを勝たないとすべてを成し遂げたとは言えないのです。しかしもしダービーでワイピロに乗るなら、万が一に備えてスタート地点に行くまでフル装備の甲冑を着ると思います」。
(訳注:ワイピロはマーカンドとのコンビでダービーに出走する。6月1日(木)現在の単勝オッズは21倍)。
By Catherine Macrae
[Racing Post 2023年5月20日「Tom Marquand: 'If you don't want to be champion jockey you shouldn't be a jockey at all - it's as simple as that'」]