海外競馬ニュース 2023年06月22日 - No.23 - 2
三冠競走のスケジュールは引き延ばされるべきか?(アメリカ)[開催・運営]

 昨年のケンタッキーダービー(G1)を単勝81倍の大穴で制したリッチストライクはプリークネスS(G1)に出走しなかった。三冠達成を目指す意欲よりも、馬に好調を維持させるために全力を尽くしたいという意向を、関係者は大事にしたのだ。

 今年のケンタッキーダービー出走馬の中でプリークネスSに駒を進めたのは、優勝馬のメイジだけだった。このようなことは、最終的に伝説の三冠馬となったサイテーションが強敵3頭以外すべてを怖気づけさせた1948年以来のことだ。今年のプリークネスSはファーストミッションの出走取消もあり7頭立てとなり、1986年以来最も少頭数となった。

 事実は事実である。もちろんさまざまな意見はあるが、競馬界には5週間で3レースという過酷なチャレンジが時代遅れになりつつあるのではないかと考える重鎮もいる。

 プリークネスSをスキップすることで有名なトッド・プレッチャー調教師はその筆頭だろう。ケンタッキーダービー(約2000m)からプリークネスS(約1900m)まで中1週しかなく、さらにベルモントS(G1約2400m)まで中2週しかないことを許容するという考え方に彼は疑問を感じており、こう語った。

 「競馬産業は多くの難しい決断を下さなければならない地点に来ていると思います。人々は伝統を変えることを嫌がります。それはよく理解しています。しかし同時に、業界ではさまざまなことが変化しています。おそらく綿密に調べて、三冠競走のスケジュールを少し引き延ばす必要があるでしょう」。

 同じく殿堂入りトレーナーであるシャグ・マゴーヒー調教師も、プレッチャー調教師のコメントに賛同した。「今の競馬は1940年あたりの競馬とは違いますので、検討してみる価値はあるかもしれませんね。その頃の馬はおそらく今よりも少し丈夫だったので、持ちこたえることができたのだと思います」。

 プレッチャー調教師は"今の出走馬には以前のような持久力や健全性が欠けているのではないか?"と問われ、「たしかにそのように見えます。数年前にそう聞かれたのなら、『ノー』と主張しようとしたでしょう。でもそう言うのは難しくなってきていますね」と答えた。

 すべてが衰弱によるものではなかったが、今年のケンタッキーダービーはレースの週に5頭の出走取消があり、これは1936年以来最多となった。

 北米最優秀トレーナーとしてエクリプス賞を2度受賞しているブラッド・コックス調教師は、"2〜3週間しか休んでいないのにシーズン終盤の祭典であるブリーダーズカップ開催に出走するように求められることは、皆無ではないにせよ、ほとんどない"と指摘する。

 「4週間というのはほとんど聞いたことがありませんね。今では5週間や6週間のレース間隔を取る人が増えています。私たちは何が馬にとってベストなのかを話し合っています。おそらく、それこそが馬にとって一番いいことなのだろうと思います」とコックス調教師は述べた。

 コックス調教師は優秀なトレーナーがやるように、馬のボディランゲージや食欲に注意を払いながら、馬の気持ちを知ることに全力を尽くしている。エンジェルオブエンパイアとヒットショーはダービーでそれぞれ3着と5着に敗れたあと、"いったん休みたい"という合図を出していた。

 コックス調教師はこう続けた。「ダービーは彼らから何かを奪いました。想定内のことでした。非常にハードで体力勝負のレースを走りました。彼らを活気づけて2週間後にふたたび出走できるようにするのは、とてつもなく大変なことだと思います。どちらもプリークネスSに登録しませんでした」。

 遠慮のない物言いをする馬主のマイク・リポール氏は、この過酷な日程だけでなくさまざまな改革をしようと呼びかけている。1919年にサーバートンが最初の三冠馬になって以来、わずか13頭の三冠馬しか誕生していないのはこの日程ゆえである。また彼は安全のために、現在のフルゲートよりも6頭少ない14頭立てでダービーを実施すべきだと主張した。

 リポール氏は、「つい2週前に20頭立てで走っているのですよ。愚の骨頂です。25年前に変更すべきでした。20頭立てのレースにはずっと賛成ではなかったですし、5週間に3レースという形式にも反対でした」と語った。

 スポーツ・イラストレイテッド誌のパット・フォード氏などが提唱した考えは、ケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ)を5月第1土曜日に施行し、プリークネスS(ピムリコ)を1週遅らせ、ベルモントS(ベルモントパーク)を独立記念日(7月4日)の祭典に実施するというものだ。

 プレッチャー調教師はこの考えを支持するだろう。

 「さまざまなことが主張できると思います。三冠競走を5月・6月・7月に開催するという議論には良いところがあると考えます。最終戦が7月4日の週末に行われるのであれば、ちょっとした盛り上がりになるかもしれませんね」とプレッチャー調教師は語った。

 そして「人々は伝統に反すると主張しますが、かつてはすべての有力馬が3競走全部に出走するという伝統がありました。今はそうではなくなってきているのです。有力馬が3競走すべてに出走する、そういった部分を取り戻すことができるかもしれません」と付け加えた。

 米国で最も尊敬されるジョッキーの1人、ジョン・ヴェラスケス騎手もまたこの変更を支持しており、「微調整するという考えをすごく気に入っています。あらゆるスポーツは良い方向に変化してきました。私たちは少しばかり伝統にとらわれているような気がします」と述べた。

 殿堂入りトレーナーのボブ・バファート調教師は、成長途上の3歳馬が三冠競走の厳しさに耐え、競馬界で最大の偉業を成し遂げるのがどれほど特別なことかを誰よりも理解している。2015年にバファート調教師が手掛けたアメリカンファラオが1978年のアファームド以来となる三冠馬となったとき、競馬ファンもそうでない人々も大いに沸いた。

 ベルモントパーク競馬場の熱狂した9万人の観衆の前で見せたアメリカンファラオの見事なパフォーマンスは、ニューヨークのスポーツ史において最も記憶に残る瞬間のひとつとされている。同じくバファート厩舎のジャスティファイは、2018年にふたたび三冠達成を果たし、このチャレンジが厳しすぎると考える人々の主張を改めて否定するものとなった。

 バファート調教師は、「セクレタリアトはそれを成し遂げました。ファラオやジャスティファイもやってのけたのです。あらゆる偉大な馬は達成したのです。誰もが優れた競走馬を見たがっています。三冠馬がそれほど多くない理由はそこにあります」と述べた。

 彼はタイトなスケジュールが人々の関心を引きつけるのに大いに役立っていると信じており、「アメリカンファラオがベルモントSで勝ったときのことを考えてみてください。レース間隔がもっと広がっていたとしたら、あの興奮はなかったと思うのです」と述べた。

 そして、「変更されてしまうと、三冠競走はその意味を失ってしまうでしょう」と付け加えた。

 無敗のジャスティファイの鞍上を務めて三冠達成を果たしたマイク・スミス騎手も、レコードブックに大混乱をもたらす行為に反対している一人である。

 「三冠競走の歴史とその意義を愛しています。三冠達成にはアイアンホースが必要です。もし変更すれば、同じものでなくなってしまうので、脚注をつけなければなりません」。

 確かに、馬の扱い方は大きく変わってきている。レース間隔を大きく開けることを重視していることで、優良馬は一年に片手で数えるほどしか出走しないことが多い。

 マゴーヒー調教師は、伝説のトレーナーのウッディ・スティーヴンス氏のコンキスタドールシエロの扱い方について懐かしそうに振り返った。この丈夫な3歳馬は1982年5月31日にマイル戦のメトロポリタンH(G1)に送り込まれ、その5日後に長距離のベルモントSに出走した。

 馬主のヘンリク・ド・クウィアトコウスキ氏がこの計画に勝算はあるのか尋ねると、スティーヴンス調教師は「ネクタイを締めて、土曜日に会いましょう」と答えた。

 コンキスタドールシエロはメトロポリタンHを1分33秒台で駆け抜けトラックレコードを打ち立て、ベルモントSを14馬身差で制した。

By Tom Pedulla/America's Best Racing

[bloodhorse.com 2023年6月13日「Should the Triple Crown Schedule Be Extended?」]