NYRA(ニューヨーク競馬協会)は8月24日(木)、競馬殿堂入りを果たした牝馬ラフィアンの遺骨をベルモントパーク競馬場からクレイボーン牧場(ケンタッキー州パリス)に移したことを発表した。1970年代のチャンピオン牝馬はこの牧場で生まれ育っていた。
ラフィアンは8月24日(木)、数々の伝説的名馬が眠るクレイボーンのマーチモント墓地に埋葬された。クレイボーンに遺骨を移すことにより、一般の人々は彼女の墓にかなり近づきやすくなる。ベルモントパークではラフィアンの墓はグランドスタンドからよく見えたが、ファンが気軽に訪ねることはできなかった。
クレイボーンへ移されることによりラフィアンの遺骨は丁重に保存されることになる。ラフィアンは1975年の死後まもなく、ベルモントパークの決勝線近くの旗の下に埋葬されていた。現在NYRAはそこに1マイルの人工馬場を敷設しようとしている。
ラフィアンは、ローカストヒル牧場(メリーランド州グリンドン)のオーナーであるスチュアート&バーバラ・ジャニー夫妻によって生産された。父はリヴューアー(父ボールドルーラー)であり、母はシェナニガンズ(Shenanigans 父ネイティヴダンサー)である。ラフィアンは短い2年間のキャリアで、当時米国牝馬三冠競走として知られていたエイコーンS(G1)・マザーグースS(G1)・アメリカンオークス(G1)の制覇を含む10戦全勝を達成した。
クレイボーン牧場とNYRAとともにこの決断を下したスチュアート・ジャニー3世は、「NYRAが50年近くにわたってベルモントでラフィアンの墓を保護してくれたことに感謝したいと思います。私たちはNYRAとクレイボーンとともに数ヵ月にわたって取り組んできました。素晴らしい成果がもたらされ、一般の人々がこの地をますます訪れるようになり、ラフィアンとその驚くべきレガシーに敬意を表する機会が増えることでしょう」と述べた。
「クレイボーンは米国で最も美しく敬愛されているサラブレッド牧場のひとつです。競馬史上に残る名馬たちの故郷であり、ラフィアンにとって理想的な場所です」。
ラフィアンは2歳時にデビュー戦で15馬身差の圧勝を決め、ベルモントの5½ハロン(約1100m)のコースレコードタイの勝ち時計を叩き出した。出走したレースすべてで終始先頭に立ち、ステークス8勝をいずれもコースレコードで達成した。1974年には最優秀2歳馬に選出され、1975年にも最優秀3歳馬に選ばれた。ラフィアンは1975年7月にベルモントパーク競馬場でレース中の怪我により命を落とし、その月のうちにそこに埋葬された。彼女は1976年、国立競馬博物館の競馬殿堂入りを果たした。
クレイボーン牧場のウォーカー・ハンコック会長はこう語った。「ラフィアンが故郷に戻ってくることを光栄に思っています。競馬界では史上最高の牝馬として名を馳せており、ここに戻ってきてマーチモント墓地でパーソナルエンスン・インサイドインフォメーション・モカシンのような偉大な牝馬たちとともに眠ることはまさに彼女にふさわしいことです」。
死後48年が経ってもラフィアンの伝説は語り継がれている。ラフィアンはブラッドホース誌のランキング「20世紀の米国のサラブレッド100頭」の35位に入っており、牝馬としては最高位である。
NYRAは1976年以来、4歳以上の牝馬限定のラフィアンH(G1 ダート1600m)を施行している。ベルモントパーク競馬場のすぐ外には、コーネル・ラフィアン馬診療所(Cornell Ruffian Equine Hospital)があり、レース中の怪我の救急処置から初期予防治療まで幅広い治療を提供している。またアケダクト競馬場のクラブハウスの入口には、ラフィアンとその主戦を務めたファシント・ヴァスケス騎手の巨大な壁画があり訪問者たちを迎えている。
NYRAはベルモントパークのラフィアンの墓石のプレートもクレイボーン牧場に移した。
このほか1981年のホープフルS(G1)とシャンペンS(G1)の優勝馬であるタイムリーライターの遺骨が、ベルモントパークの直線入口の馬場内エリアから引退馬施設オールドフレンズ(ケンタッキー州ジョージタウン)に移される。
ピーター&フランシス・マーティン両氏の所有馬タイムリーライターは、1981年にモンマスパーク競馬場のクレーミング競走からレースキャリアをスタートさせ、年末には年度代表フロリダ州産馬に選出された。1982年には3歳でフロリダダービーを制したが、怪我のため三冠競走への出走は断念した。通算成績は15戦9勝で、獲得賞金は60万5,491ドル(約8,780万円)。
By NYRA
(1ドル=約145円)
[bloodhorse.com 2023年8月24日「Ruffian's Remains Relocated to Claiborne Farm」]