2001年に二冠を達成してG1・4連勝を果たしたことで年度代表馬に輝いたポイントギヴン(25歳)は9月11日(月)、ケンタッキーホースパークの"チャンピオンの殿堂"で息を引き取った。
ケンタッキーホースパークのリー・カーター会長は、「ポイントギヴンは特別な馬でした。誰からも愛され、ケンタッキーホースパークの優れたアンバサダーでもありました。彼の死を悲しみつつも、ビッグレッドトレイン(Big Red Train)と過ごした思い出深い日々に感謝しています」と語った。
オーナーブリーダーのサラブレッド社(The Thoroughbred Corp.)に所有されボブ・バファート調教師により管理されたポイントギヴン(父サンダーガルチ)は、2001年三冠競走の二冠目プリークネスS(G1)と三冠目ベルモントS(G1)を含む6つのG1競走で勝利を挙げた。そしてこれらの快挙により、その年の年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選ばれた。ポイントギヴンは"チャンピオンの殿堂"に繋養された5頭の年度代表馬のうちの1頭である。
"チャンピオンの殿堂"のマネージャーであるロブ・ウィリス氏はこう語った。「ポイントギヴンは二冠を達成して殿堂入りを果たしただけでなく、競馬界とケンタッキー州の優れたアンバサダーでもありました。大きい馬体で近くにいるだけでも楽しい馬でした。長年にわたり数えきれないほどの来場者が彼を目にして喜んでいました。引退後の彼を預かることができてとても光栄でした。彼がいなくなって寂しくなるでしょう」。
ポイントギヴンの通算成績は13戦9勝(2着3回)で、獲得賞金は396万8,500ドル(約5億7,543万円)。史上初めて総賞金100万ドルの4レース[プリークネスS・ベルモントS・ハスケルS(G1)・トラヴァーズS(G1)]を立て続けに制し、2010年には国立競馬博物館の競馬殿堂入りを果たした。
2001年のポイントギヴンの全レースで騎乗したゲイリー・スティーヴンス元騎手はこう語った。「ポイントギヴンの訃報に接して悲しく思っています。私にとっては三冠を逃した中で最も偉大な馬です。そのような驚異的な馬とコンビを組めたことは光栄でした。PGよ、安らかに眠れ」。
1978年のアファームドから2015年のアメリカンファラオまでの三冠馬不在の37年のあいだ、二冠で終わった馬のほとんどはケンタッキーダービー(G1)とプリークネスSを制して、ベルモントSで惜しくも敗れていた。ポイントギヴンはスペクタキュラービッドやビッグブラウンに並ぶ三冠を達成できなかった3歳最強馬に違いなかったが、彼の場合、ダービーに単勝2.8倍の1番人気で挑んで5着に敗れたときにドラマはすでに終わっていた。
しかしダービーで5着に終わったものの、ポイントギヴンはしっかりと足跡を残した。プリークネスSを2¼馬身差で制し、ベルモントSでは12¼馬身差の圧勝を決めたのだ。さらにその夏は、ハスケルSとトラヴァーズSでも勝利を収めて力を見せつけた。春にはサンタアニタダービー(G1)も制しており、2歳時にはハリウッドフューチュリティ(当時G1)を制し、BCジュベナイル(G1 チャーチルダウンズ)でマッチョウノに鼻差の2着に入っていた。
ボブ・バファート調教師は9月11日(月)にこの知らせを聞いて、ポイントギヴンの競走能力と馬体の大きさを思い出していた。現役時代に"ビッグレッドトレイン"の愛称で呼ばれたポイントギヴンの体高は17ハンド(約173 cm)で馬体重は1,280ポンド(約581kg)だった。
バファート調教師は、「とても大きい馬で馬房では怒りっぽかったですね。Tレックスと呼んでいましたが、襲いかかって撃破したのは相手の馬でしたね。その世代で最も素晴らしい馬でした。永遠に私たちの心の中に生き続けるでしょう」と語った。
スティーヴンス騎手は2001年のベルモントSに出走する前から、「ダービーでの敗北は一生悔やまれることになるでしょう。競馬界から三冠馬が奪われてしまったのですから」と語っていた。
トラヴァーズSの後に腱の損傷が判明し、陣営はポイントギヴンを引退させることを決定した。
ポイントギヴンは種牡馬として10年以上スリーチムニーズファームで供用され、その後5年間をカルメットファームで過ごして種牡馬を引退した。そして2017年のシーズン終了後に、ケンタッキーホースパークの"チャンピオンの殿堂"で繋養されることになった。
ポイントギヴンは2007年のカナダ牝馬三冠馬シーリーヒルを送り出した。彼女はこの年のカナダ年度代表馬に選ばれ、最優秀3歳牝馬、最優秀ターフホースにも輝いた。ほかのトップクラスの産駒には、2009年カナダ最優秀芝牝馬ポインツオブグレース、2008年パシフィッククラシックS(G1)優勝馬ゴービトウィーン、そして2011年に父に倣ってハスケルSを制したコイルがいる。ポイントギヴンは30頭以上のステークス勝馬を送り出した。
ケンタッキー州産馬ポイントギヴンはアフマド殿下(Prince Ahmed bin Salman)のサラブレッド社の自家生産馬であり、母はターコズターン(父ターコマン)である。アフマド殿下はポイントギヴンの3歳シーズンの1年後、ウォーエンブレムで2002年ケンタッキーダービーを制したわずか数ヵ月後にサウジアラビアで亡くなった。まだ43歳だった。
"チャンピオンの殿堂"で繋養されたほかの偉大な殿堂馬と同様に、ポイントギヴンはケンタッキーホースパーク内の"チャンピオンのメモリアルウォーク"に埋葬される。そこには歴代の繋養馬であるファニーサイド・ゴーフォージン・フォアゴー・ボールドフォーブス・ジョンヘンリー・アリシーバ・ダホスが眠っている。後日、一般向けの追悼式が行われる予定である。
(訳注:2000年に2歳だったポイントギヴンのデビュー戦には、当時渡米していた武豊騎手が騎乗した。結果は2着)。
By Frank Angst
(1ドル=約145円)
[bloodhorse.com 2023年9月11日「Dual Classic Winner, Hall of Famer Point Given Dies」]