ドイツで長年リーディングサイヤーとして活躍したチャンピオンホース、ソルジャーホロウが死亡した。24歳だった。
2,000メートルのレースを中心に世界中で現役生活を送ったソルジャーホロウは、最近体調を崩していた。ドイツのテルクテにある診療所でしばらくの間過ごしたあと、生まれ故郷でもあるアウエンケル牧場で暮らしていた。
同馬のオーナー、ヘルムート・フォン・フィンク氏はフェイスブックで「ソルジャーホロウ、君は私にとって最高の馬でした。私にも、競馬産業にも、多くをもたらしてくれました。君は私のヒーロー、私の人生そのものでした。安らかにお眠りください。今、言葉が出てきませんが、君はいつまでも私の中に生き続けます」と追悼のコメントを残した。
カー・コルストン・ホール・スタッドで生産されたソルジャーホロウは、ドイツの年度代表馬や最優秀古馬に複数回選出され、現役引退後はレットゲン牧場にて2008年に初年度種付料6,500ユーロ(約107万円)で種牡馬生活を開始した。2011年からはアウエンケル牧場に移動した。
直近の数シーズンは「プライベート」の種付を行っていたが、公開されていた頃の種付料は30,000ユーロ(約495万円)にまで上がっていた。
ソルジャーホロウ(父インザウイングス)は、5頭のG1勝馬を含む30頭の重賞馬と64頭のブラックタイプ勝馬を輩出した。ドイツのチャンピオンサイヤーに3度輝いた。
代表産駒には独ダービー(G1)とガネー賞(仏G1)勝馬のパストリアス(Pastorius)、北半球と南半球の両方でG1を勝利したアイヴァンホウ(Ivanhowe)、独ダービー勝馬ヴェルトスター(Weltstar)、ベルリン大賞(G1)勝馬チンギスシークレット(Dschingis Secret)、ディアナ賞(独 G1)を制したセリエンホルデ(Serienholde)がいる。セリエンホルデは日本のトップホースであり社台スタリオンステーションで繁殖入りしたシュネルマイスターの母でもある。
直近ではミエスク賞(G3)の勝馬タムファナ(Tamfana)が、ニューマーケットで行われた英1,000ギニーで1馬身差の4着に敗れ、種牡馬の経歴にクラシック勝利を加えられなかったのは少々アンラッキーだった。
ソルジャーホロウはカー・コルストン・ホール・スタッドのチャンピオンスプリンター、アイランドレースの産駒で、2001年タタソールズ社の1歳セリで独インターナショナル・ブラッドストックに75,000ギニー(約1,500万円)で落とされた。フォン・フィンク氏のパーク・ヴィーディンゲン牧場の所有となった同馬は、ピーター・シールゲン調教師のもとで2歳時にリステッド競走を勝ち、ドクターブッシュメモリアル(G3)で初重賞勝利を飾った。
翌年重賞を3勝した後、ソルジャーホロウにとって最初のビッグタイトルを2004年のローマ賞(G1(当時)、カンパネッレ競馬場)で勝利し、翌年も連覇した。また、2005年、07年にはダルマイヤー大賞(G1)を制した。
ソルジャーホロウはドイツ競馬史上、初めて2歳から7歳まで毎年ステークス競走を勝った。香港、アメリカにも遠征し、2006年のアーリントンミリオン(G1)では3着と好成績を残した。
アウエンケル牧場の共同所有者、エラブラッケ氏は同馬の死亡をドイツ競馬メディアGaloppOnlineに伝え、牧場に戻ってきた時には「既に衰えがみられていた」とコメントしていた。
「ソルジャーホロウが種付けして受胎した牝馬がまだ5,6頭いて、それらが彼の最後の産駒になるだろう」とエルブラッケ氏はコメントした。
By Kitty Trice
(1ユーロ=165円、1ギニー=200円)
[Racing Post 2024年5月6日「You were my hero, my life and infinitely more' - top-class German sire Soldier Hollow dies aged 24」]