世界各地で活躍し人気を集めたファルブラヴが26歳で亡くなったと、日本で報道された。
イタリアのルチアーノ・ダウリア調教師、そしてイギリス・ニューマーケットのルカ・クマーニ調教師によって管理されたファルブラヴは、5カ国で8つのG1競走を制覇するという稀有な功績を残した。
ファルブラヴは健康不安のため、2015年に日本での種牡馬生活を引退し、社台スタリオンステーションに賓客として繋養されていたが、1月12日(金)の朝に亡くなったと言われている。
1月13日(土)の日刊スポーツによると、社台スタリオンステーションの徳武英介場長は 「きのうの午前11時半ごろに亡くなりました。老衰ですね。疝痛(せんつう)も少し出ていたみたいで、年末から調子を少し崩していました。産駒も頑張ってくれましたし、母父としてもいい馬を残してくれました。」と語っている。
ファルブラヴはフランチェスカ牧場(Azienda Agricola Francesca)で生産され、父はフェアリーキング、母はスルーピーの牝馬でフランスの競走で1勝をあげているギフトオブザナイトである。
2歳時には1勝とG2競走2着入りを果たし、2001年イタリアダービー(G1)では2着に入った。4歳時には共和国大統領賞(G1)とミラノ大賞(G1)を制し、その後、フランキー・デットーリ騎乗でジャパンカップ(G1)に果敢に挑戦し優勝した。(注;格付けは当時のもの)
その後、同馬の所有権を買い入れた吉田照哉氏はルカ・クマーニ調教師に管理を依頼し、イスパーン賞(G1)、エクリプス賞(G1)、インターナショナルS(G1)を制し、愛チャンピオンS(G1)ではハイシャパラルに次ぐ僅差の2着に惜敗した。
アスコット競馬場のクイーンエリザベス2世S(G1)を制し、ブリーダーズカップターフ(G1)ではハイシャパラルとジョハーの1着同着に次ぐ3着に入った。そして、多忙ながらも輝かしいキャリアを2003年の香港カップ(G1)をデットーリ騎手で制して締めくくった。
ファルブラヴは種牡馬生活のほとんどを日本で過ごしたが、チェヴァリーパークスタッドに短期滞在し、オーストラリアのアローフィールドにもシャトルされた。
ファルブラヴは種牡馬としては地味な存在だったが、いくつか好成績を残した。ファナヌルター(Fananulter)は2012年にアスコット競馬場のサマーマイルS(G2)を制し、フラヴァシも同様にオーストラリアでG2競走を制した。一方で日本では、アイムユアーズ、ワンカラット、エーシンヴァーゴウ、そしてトランスワープが複数の重賞を制している。
ファルブラヴはブルードメアサイアーとして成功し、桜花賞(G1)を制したハープスター、マイルチャンピオンシップ(G1)を制したステルヴィオを輩出した。
By Tom Peacock
[Racing Post 2024年1月13日「Death of international star Falbrav aged 26 in Japan」]