海外競馬ニュース 2024年06月27日 - No.24 - 3
B.プレブル騎手が現役引退(オーストラリア)[その他]

 メルボルンカップジョッキーのブレット・プレブル騎手が現役引退を発表した。
 火曜日朝に引退を発表したプレブルのキャリアは見習騎手としてストーエルで始まり、オーストラリアおよび世界中でトップレベルの騎手たちと競い合い、キャリア通算2,100勝以上を挙げた。
 「いろんな感情に駆られていますが、今が辞め時だということも分かっています」と、プレブルは声明文でコメントした。
 「信じられないくらい恵まれたキャリアでした。ステッキを置くときに、健康で、ハッピーな46歳でいられていることが、どれだけ幸せなことか、本当に恵まれていたな、と思います。40年に渡って、この仕事がどれだけ危険で、人の一生を変えてしまうような仕事であるかを何度も目の当たりにしてきました」。
 「オーストラリアでも海外でも、私が達成できたことに感謝し、それを誇りにも思い、純粋に満足しています。私の履歴書にはメルボルンカップ、コーフィールドカップ、ゴールデンスリッパ―があり、香港で在席した15年間では800勝以上を挙げ、香港ダービーをはじめ主要なレースは全て勝つことができました。そして日本、シンガポールでも最高のG1ホースでタイトルを取ることができました」
 「振り返ってみると、もちろん全ては現実ですが、同時に信じられない気持ちもあります。正直、言葉ではなかなか表せない感情です」。

 プレブルは14歳の時、テリー・オサリバン調教師のもとで見習騎手としてキャリアをスタートした。その後メルボルンに移籍し、残りの見習時代を殿堂入り調教師、ジョン・マーハーのもとで過ごした。
 プレブルは生涯37のG1タイトルを獲得したが、初のG1勝利を提供してくれたのがマーハー調教師で、1995年シドニーカップをダーチャで制した。
 1999年には、メルボルンカップ・カーニバルで当時の最多記録となる9勝を挙げる活躍を見せ、翌年も同数の勝ち星を挙げた。その記録は2021年にジェームズ・マクドナルド騎手が4日間開催で計10勝するまで破られることはなかった。
 2002年後半、プレブルは香港で騎乗する機会をものにし、そこから彼のキャリアの15年間は香港が拠点となった。この期間、プレブルはブリッシュラック、ケープオブグッドホープ、ラッキーナイン、セイクリッドキングダムなど香港が誇る名馬たちとともに活躍し、ダグラス・ホワイト元騎手とのライバル関係も築いた。世界屈指の騎手たちが集まる香港で、この2人は計6度のリーディングを獲得することとなった。
 香港に拠点を置きながら、プレブルはオーストラリア競馬との関係も継続させ、2010年ゴールデンスリッパーをクリスタルリリーで、2012年メルボルンカップをグリーンムーンで勝利した。
 2018年、プレブルは香港を離れ母国に戻った。2021年スプリングレーシングカーニバルでは、大本命インセンティバイズでのコーフィールドカップ(G1)勝利を含めG1・5勝を挙げる活躍を見せた。
 プレブルの最後の勝利になったのは昨年11月、イーグルネストに騎乗した一戦だった。最後の騎乗は今年2月のローズヒルガーデンとなった。

 ステッキを置いた今、プレブルは自身のビジネスブランド「パースエイダー・インターナショナル」の発展に集中すると語った。
 「騎手生活は素晴らしいものでしたが、同時に25年間、長きに渡るビジネスパートナーのマーク・バーク氏と共に馬具ブランド『パースエイダー・インターナショナル』を築き上げてきたことを誇りに思っています。ブランドは成長期に入っていて、これからはこちらの発展のために尽力していきたいです」。
 プレブルが引退した今でも、「プレブル」の姓が出馬表から消えることはしばらくなさそうだ。ブレットの息子、トム・プレブルは現在ヴィクトリア州で見習騎手として成功しているからだ。

By Edward Sadler

[racing.com 2024年6月18日「https://www.racing.com/news/2024-06-18/news-jockeys-prebble-retires-from-race-riding-180624」]