先週の今頃、我々はオーストラリア最大のレースであり、オーストラリア国外の競馬ファンでも誰もが知っているメルボルンカップ(G1)の開催を待ちわびていた。しかし、競馬ファンの中でもあまり知られていないのは、「ハンデのG1レース」というこのレースの性質だ。
欧州では、ほとんどの国がそれぞれのパターン競走(重賞およびリステッド競走)を既に固定しているため、まずこのような性質のレースが生まれることは想像し難い。ただし、パターン競走の形態を抜本的に見直してくれる人が出てきて、この「ハンデのG1レース」を導入してくれることが私の願いだ。なぜなら、それは素晴らしいコンセプトだからだ。
こう言うと、すぐに反対の声が挙がるのは容易に想像できる。G1競走の主たる目的、それは言うまでもなく平等な負担重量のもとでベストホースが誰なのかを決めることだ。私も、クラシック競走、凱旋門賞、その他のチャンピオンシップ開催の諸競走など、現時点でその役目を上手く果たしているレースを批判している訳ではない。しかし、言えるのは、それらG1競走全体の番組を俯瞰した時に、特にマイル以上の距離では、必ずしも機能していない現実がある。
2020年以降、イギリス、アイルランド、フランスで実施された平地G1競走273レースの平均出走頭数はわずか9頭だった。さらに、それらの競走の30%以上は7頭以下で実施されたため、「応援馬券(単複馬券)」の複勝は2着払いであった。また、273レースのうち1番人気の馬に5倍以上のオッズがついたのはわずか2レースだけだった。
一方、メルボルンカップを見ると、今年の1番人気の馬は単勝6倍で、上位4着までの馬は全て二桁台の人気だった。ここで「ハンデ」競走の特性を誤解してはならない。ハンデキャップ競走というと最高レベルに達しない馬たちの戦いと解釈しがちだが、このレースの出走馬はハイクラスのステイヤーたちだった。
我々は、競馬がエンターテイメントビジネスであるということを忘れてはならない。チャンピオンホースが、低いオッズで楽勝する競争力の低いG1競走は、エンターテイメント性を比較すればメルボルンカップとは同等のものではない。仮に欧州で新たなレースが設置されたとしてもメルボルンカップのような魅力をすぐには期待できないが、少頭数のG1競走に提供されている多額の賞金を見ていると、それらの賞金を新たな試みに投資すれば我々が見慣れていない魅力的なレースが生まれるのでは、と思ってしまう。
G1ハンデ戦は多頭数レースに繋がり、馬券の選択肢も増え、エリート馬以外の出走馬関係者にも彼らのキャリアで最高の勝利をつかむチャンスを与える。そのサクセスストーリーは正にメルボルンカップが象徴するものであるが、逆に欧州では稀なものだ。そして、名実ともに真のチャンピオンとは、負担重量を多く背負わされた中でも勝利し、王者としての称号を手にするものではないだろうか。
By Jonny Pearson
[Racing Post 2024年11月11日
「The Melbourne Cup has given me an epiphany - surely it's time for Group 1 handicaps in Europe」]