ニューヨーク競馬協会(New York Racing Association: NYRA)は、サラトガ開催の際の発走時の事故多発を受けて、発走委員を更迭した。
2004年からNYRAの発走委員を務めてきたリチャード・ブロッソー(Richard Brosseau)氏は、31年間続けてきた発馬業務から引退することになった。後任には、ロイ・ウィリアムソン(Roy Williamson)氏が昇格した。同氏は1985年以降、NYRAの発走助手を務めてきた。
36日間の開催の最初の20日間で発走事故が7件発生した。これらの事故には競走除外された3件の事故が含まれており、これらの事故で150万ドル(約1億8,000万円)を超える賭金が払戻された。
NYRAは2004年まで30年以上にわたり発走委員を務めた経験のあるボブ・ダンカン(Bob Duncan)氏をコンサルタントとしている。NYRAはブロッソー氏の交替に加えて、ボブ・ダンカン氏のコンサルタントとしての役割を拡大し、ベルモントパーク競馬場の秋季開催の終了まで、発走に関する規定と運用の抜本的見直しを行うことになった。
NYRAの理事長兼最高経営責任者チャールズ・ヘイワード(Charles Hayward)氏は、「私たちは、ウィリアムソン氏の昇格を非常に嬉しく思います。発走全般を見直して改善するつもりです。同氏がダンカン氏と十分に協力してくれるものと確信しています。発走は、レースのうちで最も重要な部分であり、コミュニケーション、協力および正確性を必要とします。私たちは、ニューヨーク競馬に対するブロッソー氏の長年にわたる貢献を評価しており、今後の幸運を祈っております」と述べた。
ブロッソー氏は、退任にあたりコメントすることを控えている。
賭金の最初の払戻しは、8月1日に起きた。ゲートが開いた際に、発走助手がラムスプリンガ(Rumspringa)の頬皮をつかんでいたと裁決委員が判定し、レース後に同馬を競走から除外したことが原因である。
その5日後、フォンホーム(Phone Home)が発馬機内でジョン・ベラスケス(John Velazquez)騎手を振り落とした。ゲートが開いたとき、同騎手は馬上で装具を調整しており、手綱をつかんでいなかったのだ。同騎手は滑り落ちたが、負傷はしなかった。フォンホームの頬皮をつかんでいた発走助手は、ベラスケス騎手のスタート準備完了を確認していなかったことをブロッソー氏に謝罪したとのことである。
7月25日にトニー・レインステドラー(Tony Reinstedler)調教師の管理馬アフターダーク(After Dark)が発馬機内で騒擾し、競走除外となった。その4日後、コラム・オブライエン(Colum O’Brien)調教師の管理馬マイシスターダイアン(My Sister Diane、4歳牝)が発走を待っているときに発馬機内で立ち上がって競走除外となった。
ベラスケス騎手は、8月3日に2つの事故に関係した。最初の事故は、同騎手が第5レースでトブルック(Tobruk)に騎乗して発馬機に入ったときに、同馬が騒擾して危険な状態になったものである。裁決委員は、発走助手が当時同馬の頬皮をつかんでいなかったと裁定した。
その2レース後にゲーリックストーム(Gaelic Storm)がゲートから2完歩出たところでつまずき、ベラスケス騎手を振り落とした。同騎手にけがはなかった。
8月15日、ファントムインカム(Phantom Income、牝)は、アディロンダックS(G2)のスタートの際に後肢で立ち上がったため競走除外となった。発走助手とエイバー・コーア(Eibar Coa)騎手が2番人気に推されていた同馬を落ち着かせようとしていたときにブロッソー氏がゲートを開けたものである。同馬は、遅れを取り戻すことができず、出走馬9頭の最下位で入線した。
8月17日に行われたインタビューで、ブロッソー氏は競走除外となった3頭すべては、発馬機内で激しく暴れたと述べた。同氏は、おそらくサラトガ競馬場の大観衆が発馬機内外におけるこれらの粗暴な行動の原因となったのではないかと述べている。
同氏は、「サラトガ競馬場は、いつも難しい競馬場です。同競馬場はたとえば、ベルモントパーク競馬場やアケダクト競馬場と異なる雰囲気です。私たちは、大した成績を上げない馬を1年中目にしています。これらの馬は、サラトガ競馬場の発馬機に入ると手におえなくなるのです」と述べている。
By Jeff Lowe and Phil Janack
(1ドル=約120円)
〔thoroughbredtimes.com 2007年8月20日「NYRA replaces starter after string of gate incidents」〕