オハイオ州は、過去数年間で紛れもない革新の中心となった。まず、ビューラパーク競馬場は、2006年初めに騎手のために労働者災害補償保険をかけるという前例のない措置を講じ、そのあと直ぐにリヴァーダンズ競馬場もこれにならった。これらの競馬場は騎手の災害補償保険料を支払う義務はなかったが、傷害保険料が引き上げられたことを考慮して、騎手のために災害補償保険をかけるのは賢明な企業行動であると判断したものである。
3月初め、オハイオ州競馬委員会(Ohio Racing Commission: ORC)は、レース中と午前の調教の際に平地と繋駕速歩の両方の馬に安全手綱を使用することを義務づけた。これは米国の競馬統括機関では初めてのことである。従来の手綱をワイヤーまたはナイロンコードが縫いこまれた手綱と取り替えることについて、ORCは調教師に対して2008年7月1日まで猶予を与えている。安全手綱のワイヤーまたはナイロンコードは、留め金でハミに直結される。
平地競走と繋駕速歩競走のために安全手綱の採用を働きかけてきた、元ニューヨーク州の開催執務委員のアーサー・グレイ(Arthur Gray)氏の長くかつ困難な闘いがあった。同氏は、平地競走と繋駕速歩競走の騎手のために安全対策を講じるため、批判、皮肉および中傷に耐えてきた。
他の州も安全手綱を検討することを期待されており、北米全体で安全手綱が採用されるのは非常に望ましいことである。
しかし、冷笑を受ける危険を冒してまで、安全手綱が全面的に採用されるまでには時間がかかるかもしれない。
アメリカ人は頑固な個人主義者であり、競馬関係者は大多数の個人主義者よりいっそう頑固である。競馬関係者は、通常極めて伝統的な方法で思いどおりに行動する。残念なことに、極めて伝統的な方法は非常に危険であり、事故が起きたときでさえ競馬界において意見の一致は難しい。ORCの行動がおそらく最も注目に値するのは、誰かが死亡したりまたは永久的な障害を負う危険性を減らすイニシャチブを取ったことにある。
競馬界における安全基準の不一致は、テレビ中継を数時間観るだけで明白である。ある競馬場では、誘導馬とリードポニーの乗り手は保護帽と安全チョッキを装着している。しかし、別の競馬場では、ポロシャツを着てカウボーイハットをかぶっている。もちろん、彼らが地面に投げ出された場合、カウボーイハットでは何の保護にもならず、またポロシャツは乗り手が馬にけられた際、安全チョッキのように身体を保護しない。
2005年末に死亡事故が起きたことを受け、フィンガーレイクス競馬場は発馬機係員に安全確認済みの安全チョッキを配った。その他の競馬場も安全チョッキを装着することを義務づけているが、ある競馬場では、安全チョッキのジッパーを締めずに発馬機に馬を入れるような係員がいた。
ケンタッキー州は、承認済みヘルメットの着用を騎手に義務づけているが、かぶり心地が気に入らない騎手がいたため、2004年から昨年9月までは着用は強制されなかった。その間にマイケル・ローランド(MichaelRowland)騎手がターフウェイパーク競馬場でのレースで受けた頭部負傷のために死亡した。
競馬の楽しさの1つはその多様性であるが、安全基準に多様性は必要ない。イギリスなどの競馬開催国は厳格でかつ共通の安全基準を採用している。しかし競馬場に行ったことがある者は、ニューベリ競馬場の状況は、ウルヴァーハンプトン競馬場と非常に異なり、またサンダウン競馬場は、美しいリングフィールド競馬場と異なっていることを知っている。場所と雰囲気がこのような相異をもたらすのであり、競馬に参加する人々が装着する安全防具によるものではない。
安全が反アメリカ的であるというわけではない。アパラチア地方(米国東部)で育った者は、炭鉱夫がどれだけ個人主義であるかを知っているが、炭鉱という極めて危険な職業に対する安全基準は非常に厳格である。事故が起きるのは、往々にして安全基準が守られないためである。
競馬は炭鉱と同じように危険であるが、致命的であることがあまりにも多すぎる。万全の状態に調教された数千ポンド(約450キログラム)もある馬は、騎手、誘導馬騎手および厩務員にとって手に余る動物であり、スピードのある競馬はしばしば事故を招く。防止できる事故、できない事故があるが、競馬界全体には競馬参加者に起きる危険と負傷の程度を最小限にする責任を負っている。
安全手綱の代金は高いのだろうか。高いことは確かであり、従来の手綱と比べて安全手綱一式当り15ドル(約1,800円)ほど高くなる。しかし、これは競馬参加者を死亡や重傷から保護することを考えればわずかな金額である。
ORCの措置のあとに公表された報告書で、オハイオ州の繋駕速歩競馬関係者の1人が、手綱が切れることはまず起こりえず(グレイ氏は、これと意見を異にしている)、手綱が切れかかっていないかどうかをチェックするのは“面倒なこと”であると不満を述べている。
このことをジョン・ベラスケス(John Velazquez)騎手に話したらどうであろうか。同騎手は、ベルモントパーク競馬場で行われた2005年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイル(Breeders’ Cup Juvenile)でプライベートバウ(Private Vow)に騎乗した際、向正面の直線走路で左のハミ鐶の部分の手綱が切れるというアクシデントを経験した。世界で最も卓越した騎手の1人である同騎手は、馬のたてがみをつかみかろうじて右の手綱で同馬をコントロールし、競馬界で最も優れかつ有望な馬達を転倒事故から防ぐことができた。このような事実があっても手綱が切れかかっていないかどうかをチェックするのは面倒なのだろうか。もちろんそうではないはずだ。
ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルでもし事故が起きていたら、マスコミは大騒ぎしたことだろう。負傷した馬とけがをした騎手が馬場に投げ出されている光景は、思い浮かべるにはあまりにも痛ましい。しかし、このような事故は起こりうるのであり、しかもテレビで全国放映されているときでも起こるのである。
健全な企業コードの本質は、制御できる出来事と制御できない出来事の両方に対して備えることである。大企業は、戦略計画を立て、まず潜在的問題を回避するための計画を策定し、次に発生した問題に対応するための計画を立てる。危機管理の核心は、事故が起きる前に事故を予防することである。
安全手綱は、競馬界全体で数万ドル(数百万円)の金額を支出させるのは確かである。しかし、手綱は人の命と競馬の名声を保護する。安全手綱は、採用するのに苦労する価値はある。安全チョッキやヘルメットといった他の安全装具と共に、安全手綱は北米全体で標準装具となるべきである。
By Don Clippinger
(1ドル=約120円)
〔Thoroughbred Times 2007年3月31日「A forward-looking step in Buckeye State」〕