「物事はより多く変化するものほど、その実体は変わらない」と天を仰いでつぶやいたフランスの哲学者の言葉は、確かに一面の真理を言い表している。しかし、彼は、競馬を知らなかったので、競馬にこの言葉は当てはまらない。ここ20年、イギリスにおけるG1のレース(20年間で517レース)の競走結果は劇的な変化を示している。この期間に、イギリス調教馬のG1レースにおける優勝は、2つの競馬大国の隆盛により大きく減少した。
このような変化は多くの人がすでに感じてきたが、以下に記載する統計がそれを明確に示している。なお、この統計ではゴドルフィン社(Godolphin)の事業は、アラブ首長国連邦とイギリスに分かれているものの、サイード・ビン・スルール(Saeed Bin Suroor)調教師はドバイの調教師として分類している。
さらに具体的に言えば、イギリス調教馬のG1競走優勝にはこの20年間で次のような変化があった。
►► G1競走の拡大。すなわち1989年の23レースが2008年には32レースに増加した。
►► バリードイル(Ballydoyle:オブライエン厩舎の調教場)とクールモア(Coolmore)牧場勢力の拡大。これはアイルランド調教馬がG1競走の大部分を制する原動力となった。
►► ゴドルフィン社の創立と成功。ドバイアン・ステーブル(Dubaian stable 訳注:シェイク・ハムダン殿下の法人馬主)も成し得なかった驚くべき成功を収めた。
►► 長い歴史を持つイギリス厩舎の総合力の低下による長期的低落。
►► フランスの影響力の減退。その原因はエイダン・オブライエン(Aidan O’Brien)調教師とビン・スルール調教師の管理馬が優勢であったことにある。
►► 全般的な国際化によるその他の競馬国の勃興。
急激な変化が完全に定着したと確信するには、20年間という期間でさえ不十分である。エイダン・オブライエン調教師はこの期間のたった半分でG1で56勝を挙げるような大勢力となったが、今後とも国外追放を受けるようなことでもない限り、イギリスの競馬界に影響を与え続けることは間違いない。
イギリスG1競走の年間勝利数に限って見れば、オブライエン調教師の絶頂期は10勝を挙げた2001年である。同調教師のどん底は、勝利の女神に見放さ れた、かつての専属騎手ジェイミー・スペンサー(Jamie Spencer)騎手のせいでたった1勝しかできなかった2004年である。
しかし全体として、オブライエン調教師の記録は上向き傾向を示しており、このことは、同調教師がまだ38歳で今後とも経験を積んで進歩する事を考慮すれば驚くに値しない。同姓のヴィンセント・オブライエン(Vincent O’Brien)調教師は、38歳の時、G1競走に1勝もしていなかった。現在バリードイルの達人であるエイダン・オブライエン調教師は、今年すでにイギリスのG1競走を6勝しており、このシーズンを記録的なものにするのは難しくないだろう。
一方、ビン・スルール調教師とゴドルフィン社はどうなっているのだろうか?彼らのイギリスG1競走優勝に占める割合は、シェイク・モハメド殿下(Sheikh Mohammed)の下で40勝をあげた1995〜2002年の黄金期から減少しつつある。
これが恒久的な衰退でないことを願うばかりである。G1勝鞍減少の要因の1つは、シェイク・モハメド殿下が次世代種牡馬の発掘に投資を集中する事を決定したことかもしれない。
エイダン・オブライエン調教師の勝利の多くは、サドラーズウェルズ(Sadler’s Wells)とその産駒モンジュー(Montjeu)とガリレオ(Galileo)の子孫がもたらしたもので、他にはノーザンダンサー(Northern Dancer)の血統である種牡馬ストームキャット(Storm Cat)とデインヒル(Danehill)の子孫によってもたらされた。なおノーザンダンサーの血統の台頭に最初に関わったのは、ヴィンセント・オブライエン調教師であった。
優れた調教事業を運営するうえで種牡馬がどれだけ重要か知りたいのであれば、ジム・ボルジャー(Jim Bolger)調教師が思い切ってガリレオ産駒にへの投資を決断し、ボルジャー夫人名義で走らせたことによって、その再起がどれほど助けられたかを考えてみれば良い。同種牡馬は、2歳時5戦5勝でカルチエ賞最優秀2歳牡馬となったテオフィロ(Teofilo)、2008年ダービー馬ニューアプローチ(New Approach)、2008年コロネーションS(G1)勝馬ラッシュラシーズ(Lush Lashes)およびクイスガイア(Cuis Ghaire)を送り出している。
イギリスの2人の調教師、ピーター・チャプル=ハイアム(Peter Chapple-Hyam)氏とマイケル・ベル(Michael Bell)氏も、モンジュー産駒で英国ダービーを制している。
エイダン・オブライエン調教師とビン・スルール調教師の成功はさておき、G1勝馬を輩出したイギリスの調教師リストに目を通してみると、イギリス調教馬のG1勝利の減少傾向の原因が浮き彫りになる。ヘンリー・セシル(Henry Cecil 30勝)、ジョン・ダンロップ(John Dunlop 17勝)、クライヴ・ブリテン(Clive Brittain 16勝)、ジェフ・ラグ(Geoff Wragg 11勝)は、その全盛期と比べてもはや同様の勢力を有していない。それにもかかわらず、今のところ世代交代も見られない。
それどころかピーター・チャプル=ハイアム(12勝)、マーク・ジョンストン(Mark Johnston 9勝)、ジェレミー・ノセダ(Jeremy Noseda 9勝)のような有能な調教師については、明らかに、勝つために必要な血統の産駒を入手することが困難な状態にある。
マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師は、イギリスを拠点とする調教師のなかで最も強い影響力を維持している。たとえ同氏が一世代前と同様の優良馬輩出の勢いを持っていないとしても。
同調教師は、ヨークシャー・オークスやナッソーSのような中距離競走で好タイムを出し、牝馬のレースにおいていつも良い成績を残している。より短い距離の競走では、同氏はチェヴァリーパーク牧場(Cheveley Park Stud)の生産馬のすばらしい走りを遺憾なく発揮させた。
それでは将来の見込みはどうだろうか?次の20年間にはどのような変化が生じるだろうか?次の40年間では?
短期的には、ゴドルフィン社が勢いを取り戻せば、G1競走に途轍もないことが起こるだろう。うまくいけば新しい血統の流入が今後10年以内にゴドルフィン社の再生のきっかけとなるだろう。
長期的には、シェイク・モハメド殿下とジョン・マグナイア(John Magnier)氏の競馬帝国がどのようになるか興味深いことである。競馬の歴史は、たとえクールモア牧場のような頑強な壁でも、どの構造も恒久的ではないことを示している。
G1競走の優勝争いは、どうなるのだろうか?誰が有力な種牡馬の一群を手にするのだろうか?イギリスに偉大な調教師の先輩たちの跡を引き継ぐ若くてダイナミックな調教師が出現するのだろうか?
競馬界の周辺環境が変わりつつあることを考慮すれば、イギリスの調教師たちは現在のところ自国のG1競走でそれなりに健闘している。とりわけこの5年間の2歳馬レースと全ての年齢のスプリント競走においてさまざまな厩舎がG1勝馬を輩出している。
以上の理由からイギリスの調教師たちを信用しよう。明らかにオブライエン調教師は競馬界のタイガー・ウッズで、おまけに膝を傷めたウッズとは違い良い膝を持っている。イギリスの調教師たちは依然として現状を維持するため大健闘しているのだ。
英G1勝利の割合の推移
1989年イギリスにはG1競走は23レースあったが、2008年までに32レースに増加した。G1競走に追加された競走は以下のとおりである。フィ リーズマイル(1990年アスコット)、ロッキンジS(1995年ニューベリ)、ナッソーS(1999年グッドウッド)、プリンスオブウェールズ S(2000年アスコット)、ゴールデンジュビリーS(2002年アスコット)、クイーンアンS(2003年アスコット)、ファルマスS(2004年に ニューマーケット)、サンチャリオットS(2004年ニューマーケット)、キングススタンドS(2008年アスコット)。
1989-2008年イギリスG1競走 調教師による勝利数 | ||
エイダン・オブライエン(A. O’Brien) | アイルランド | 56 |
サイード・ビン・スルール(S. Bin Suroor) | イギリス/ドバイ | 54 |
マイケル・スタウト(Sir M. Stoute) | イギリス | 49 |
ヘンリー・セシル(H. Cecil) | イギリス | 30 |
アンドレ・ファーブル(A. Fabre) | フランス | 21 |
ジョン・ダンロップ(J. Dunlop) | イギリス | 17 |
クライヴ・ブリテン(C. Brittain) | イギリス | 16 |
ジョン・ゴスデン(J. Gosden) | イギリス | 15 |
ルカ・クマーニ(L. Cumani) | イギリス | 14 |
バリー・ヒルズ(B. Hills) | イギリス | 14 |
ピーター・チャプル=ハイアム(P. Chapple-Hyam) | イギリス | 12 |
ジェフ・ラグ(G. Wragg) | イギリス | 11 |
ウィリアム・ハーン(W. Hern) | イギリス | 10 |
By James Willoughby
[Racing Post 2008年6月25日「How Britain is losing out in the Group 1 power game」]