国際的に最も評判の高い裁決委員の1人であるジェイミー・スティア(Jamie Stier)氏は、BHA(英国競馬統轄機構)の規定、薬物取締り、競馬場免許および裁決などを担当する理事に就任するために、初めて豪州および香港以外の土地に赴く。
1月で46歳となったスティア氏は、2009年6月1日にその職を退くまで6年以上、上席有給裁決委員として香港ジョッキークラブに勤務していた。同氏はチェルトナムフェスティバル(3月16日〜19日)にあわせて来英する予定である。
20年間英国ジョッキークラブ、BHB(英国競馬公社)およびBHAの競馬場部門に従事してきたトニー・グッドヒュー(Tony Goodhew)氏が6月に引退する予定であり、ジェイミー・スティア氏は彼から、約2ヵ月かけて英国競馬の段取りを学ぶことになるだろう。
スティア氏は2月11日、ニューサウスウェールズ州テリガルの海岸沿いの町にある自宅から次のように語った。「私には新しいチャレンジが必要でした。こ れは私が体験できる仕事の中で限りなくエキサイティングなものになるでしょう。BHAは英国競馬を前進させることを模索しており、私はそれに一役買えるこ とを楽しみにしています」。
「私はバックミラーを覗き込むことに執着しない性格です。過去は過去であり、歴史から教訓を得るとしても、私にとって未来が最大の関心事です」。
農家の息子として生まれ牛や馬に囲まれて育ったスティア氏は、21歳の時に研修員としてオーストラリアン・ジョッキークラブ(AJC)に入会した時から最近の香港での職に至るまで、競馬場の裁決業務に携わってきた。
BHAにおいて同氏は競馬開催日のすべての責務を負うことになるが、彼にとって、これは現場の裁決業務に直接携わることのない初めての職である。
一時期スティア氏は香港で見習い騎手の養成の任務を担当したあと、騎手の騎乗能力開発を監督し、免許付与部門を管理運営し、競馬規程の見直しに貢献した。
これらすべての業務は、活性化した環境の中においても厳格な規制を行っているという香港競馬の名声を築いてきた。最近ではクリス・マンス(Chris Munce)騎手の内部情報漏洩事件やテイクオーバーターゲット(Take Over Target)の薬物事件のような出来事において、スティア氏も論争に関わってきた。
スティア氏は、「私は5年間とどまることを望みながらも3年契約で香港に赴任しました。結果的には、私は香港で11年間仕事をしました。私が得ていた職には期限がありますが、私はその最後まで到達したと思います」と語った。
同氏は次のように付言した。「私はこれから英国競馬に従事するスタッフから英国競馬のすべてを学ぶために現場に出かけます。願わくば彼らに自信を与え、彼らと仲間意識を築き上げることを楽しみにしています」。
「香港での評判とは異なって、私は実力行使に訴えることはないでしょう。英国競馬に完全に身を捧げ最善を尽くすために、偏見のない心で望む所存です」。
「私は英国競馬に関してすでに広範な知識を持っているとは公言しませんが、覚えは早いほうです。私は4回か5回英国競馬を見たことがあり、英国競馬についての見識を与えてくれる世界中の多くの関係者に出会う機会がありました」。
BHAのCEOであるニック・カワード(Nic Coward)氏は、「スティア氏を採用することは、英国競馬にとって絶好の戦略です。同氏については素晴らしい評判しか耳にせず、2回の面接において瞬 時に強い印象を受けました。スティア氏と話した人は皆、彼の専門知識と、競馬を全体的にプロ意識の高いものにしてより良く運営するためにはどのように取り 組むべきかに関する広い見識に驚かされました。彼は専門知識および熱意のある人で、BHAチームのトップメンバーになると思わせるほどの率直さも持ちあわ せています」と述べた。
ジェイミー・スティア氏プロフィール
・出生
・職歴 1991年 AJC有給裁決委員に就任。
1995年 NSWプリンシパルレーシングクラブ(以前のAJC。
1998年8月 ジョン・シュレック氏が上席裁決委員であるとき、 2000年7月 免許付与委員会の事務長と上席裁決委員会副会長を兼任。 2003年1月 ジョン・シュレック氏の後任として上席有給裁決委員に就任。 2009年7月 HKJCを退職。
2010年3月 トニー・グッドヒュー氏から5月に競走日運営・規制担当理事の業務を
・BHAでの職務 |
By Howard Wright
[Racing Post 2010年2月12日「BHA lands top international steward Stier in a 'coup for British racing'」]