少なくとも1791年にジェネラル・スタッド・ブック序巻(An Introduction to a General Stud Book)が刊行されて以降、サラブレッドの実際の遺伝的構成は、熱心な調査と考察の対象となってきた。ジェネラル・スタッド・ブック初版の編纂者であるウィリアム・シドニー・タワーズ(William Sidney Towers)氏の当初の調査は、代々のウェザビー家(Weatherbys)によって世間に知らされたが、それより約100年前に起きた出来事についての文書記録の不足によって制約を受けた。
サラブレッド生成の世紀は、イギリスの歴史において最も混沌とした世紀の1つであり、国王殺し、内乱および王政復古によって特色づけられている。イギリスの社会階層の最上部におけるこのような一連の不幸な出来事は、最も古い記録のあるサラブレッドの祖先を育てた一族の興亡、そして時にはそれら一族の抹殺を必然的にもたらし、彼らが保有していた可能性のある文書記録を消滅せしめた。
イギリス社会の家長制的性格のために、サラブレッドとなった競走馬の最古の父系祖先の名前(ただし、それ以前の血統は除く)がきちんと記録されることとなった。しかし、これらの記録は信頼できないことで有名であった。その理由は、1つには馬の所有権が変わった場合、馬名を変更するという当時流行していた習慣のためである。また種牡馬の持ち主は、馬の起源とされるものを当時の流行に従って自由に決めた。このようにして、サー・J・ウィリアムズターク(Sir J. Williams's Turk)は、ハニーウッド(Honeywood)氏によって購買された時にハニーウッドアラビアン(Honeywood Arabian)となり、その後サー・C・ターナーズホワイトターク(Sir C. Turner's White Turk)に再度改名された。
サラブレッドの遺伝的起源に関心のある者にとって、このことは極めて重要な点である。なぜならばターク種とアラブ種は、身体的に、歴史的に、そしてある程度の品種間交雑があったのは確かだとしても、遺伝的にかなり異なる品種であったからである。同様に、アラブ種とバルブ種は、より近い品種であるが、異なる身体的特徴を有する別の品種である。
複数の有力な研究者、とりわけレディ・ウェントワース(Lady Wentworth)氏とC.M.プライア(C. M. Prior)氏は、これらの不確かさをすべて退け、基礎種牡馬のみならず、基礎牝馬も純粋にアラブ種またはバルブ種を起源とすると主張した。ただし、それらのうちでジェネラル・スタッド・ブックに名前が記載されているものは少ない。ジェネラル・スタッド・ブックによると、いくつかの重要な牝系(female line)が、トレゴンウェルズナチュラルバルブの牝馬(Tregonwell's Natural Barb mare)、バートンバルブの牝馬(Burton Barb mare)、(純血のバルブ種と言われている)オールドボールドペグの牝馬(Old Bald Peg mare)およびレイトンバルブの牝馬(Layton Barb mare)といった名称の牝馬までさかのぼるのは事実であるが、これらの名称が暗示する遺伝的遺産の真実性を確認する方法はつい最近までなかった。
他方、2010年10月に英国王立協会のバイオロジー・レターズ誌(Biology Letters)の印刷版と電子版に掲載された論文は、この古来のなぞを解く啓発的な切り口を初めて提供している。この論文の責任著者であるケンブリッジ大学マクドナルド考古学研究所(MacDonald Institute for Archaeological Research at Cambridge University)のミム・バウアー(Mim Bower)教授、およびこの論文を主導した以前ロンドンの王立獣医カレッジ(Royal Veterinary College)の教授をしていたマシュー・ビンズ(Matthew Binns)博士が行った調査は、サラブレッドの牝系起源の問題に取り組むために、ミトコンドリアDNAを利用した。
ミトコンドリアDNA(mtDNA)は、牝系のみを通じて遺伝され、まれに起きる突然変異を除いて、母馬から牝駒へ遺伝する際に変化することはない。したがって、mtDNAは牝系遺伝の信頼できる遺伝子マーカーの役目をする。
世界的遺産
バウアー教授およびその他の研究者は、196頭のサラブレッドと83頭のイギリス原産の非サラブレッドから採取された全ゲノムDNA検体に対して標準ゲノム検査法を用い、これらのmtDNAの配列をアメリカ国立衛生研究所の国立生物工学情報センター(National Institutes of Health's National Center for Biotechnology Information)に整理されている1,550個のmtDNAの配列と比較した。上記の検体には、296頭のサラブレッドのゲノムDNA検体のほか、東洋種(アラブ種、バルブ種、ジェネラル・スタッド・ブックがターク種と呼ぶ馬に最も近い現代の親類馬と思われるアハルテケ種およびカスピアン種)ならびにイギリスとアイルランド在来馬およびヨーロッパ大陸馬の比較検体が含まれていた。
検査結果は、現代サラブレッドの牝系の大部分が、現代のアラブ種よりも現代のイギリス馬とアイルランド馬および現代のバルブ種に近い血統を祖先としていることを示した。調査は、次のとおり結論づけている。
「我々のデータに基づくと、サラブレッドの基礎牝馬はアラブ種や東洋種だけではない。むしろサラブレッド牝馬は、ヨーロッパのさまざまな種を起源とし、バルブ種から遺伝的寄与を受けており、また従来から知られている以上にイギリスとアイルランドの在来馬がサラブレッドの生成に大きな役割を果たしている。・・・イギリスとアイルランドの在来馬の寄与は、東洋馬の寄与のほぼ2倍である」。
このことは、もちろん特定の牝系が純血種のアラブ種牝馬またはバルブ種牝馬を祖先としていないことを意味するものではないが、明らかにそのような牝系が非常に多いということはあり得ない。これは、上記の研究グループから今後提出が予定される論文によって少なくても部分的に取り組まれるはずのテーマである。
ビンズ博士は、「我々は、約300頭の牝馬について2回目の調査を行い、特定の基礎牝馬の地理的起源を調べました。調査結果は間もなく発表されると思います。ただ、特定の牝系(ファミリー)に地理的起源を割り振ることは極めて困難です。これは馬の移動が広範囲におよんだからだと考えます。たとえば、豚や羊と異なり、馬は歴史的に物や人を長距離輸送するために使役された運搬用動物でした。したがって、馬は産まれた場所から遠く離れた地域で最終的に子孫を持ったのです。私は、個々の牝系(ファミリー)の本当の地理的起源が上記の方法で解明されるとは考えていません。より必要なのは、各個体の調査よりも全個体群の調査です」と述べている。
ジェネラル・スタッド・ブックに記載されている名称によって生じる困難さに加えて、競馬歴史家が何らかの間違いを犯したことは極めて明白である。たとえば、牝系(ファミリー)の7・11・12・および13は、"ロイヤルメア(Royal mares)"と呼ばれる馬たちにたどりつく。この名称は、清教徒によって没収されて売却されたチャールズ一世(King Charles I)の牧場の出身の牝馬(またはこれら牝馬の直系の牝系子孫)のために確保されたものである。
バッキンガム公(Duke of Buckingham)とジェームズ一世(King James I)がヨーロッパから東洋種の牝馬と思われる一群の馬を輸入したという文書証拠があるため、初期の研究者たちはこれらの牝馬がアラブ種またはバルブ種であると推測し、この推測が、サラブレッドは別名で仮装しているアラブ種にすぎないという主張の根拠となった。
最新の研究によって、上記の牝馬は実際にはヨーロッパの在来牝馬(その牝系祖先は、アラブ種やバルブ種の種牡馬と交配した可能性がある)であったという、他の証拠からの最近の推論が裏付けられているようである。歴史的に言うと、8世紀から13世紀にかけてのムーア人によるイベリア半島の征服が、多数のバルブ種とアラブ種、とりわけこれらの種の種牡馬をスペインにもたらした。これらの種牡馬は、イベリア在来馬の質を改良し、その牝系子孫はヨーロッパで高く評価されるようになったが、これは、アラビア人が牡馬よりも牝馬を重要視し、外国人に繁殖牝馬を売却することはめったになかったという理由が大きい。サラブレッドの基礎馬として寄与したアラブ種の牝馬は、十字軍がイスラム教徒と戦った時におそらく捕えられたものと思われる。ただ、これらの牝馬がイギリスに生きて戻った可能性は極めて少なかった。
おそらくこのことが意味するのは、当初のサラブレッド基礎牝馬の多くは、イギリスで競走馬を生産するために何世紀にもわたり使用されていた"イングリッシュランニングホース(English running horse)"または"アイリッシュギャロウエイ(Irish Galloway)"の牝馬を祖先としているということである。これらの牝馬は幾世代にもわたり東洋種の種牡馬と交配していた。
その他の方法
それではサラブレッドの遺伝的構成は何であろうか。現時点では確かなことは誰にも分からない。おそらく我々が知ることは永久にないであろう。初期の血統に基づいた統計的方法により大まかな推定を見つけ出すことは理論的に可能であるが、多くの初期血統の不確実な素性を考慮すれば、この推定はかなり懐疑的に見られなければならない。
たとえば、21世紀において支配的なファラリス(Phalaris)系にたどりつく牡系の基礎種牡馬であるエクリプス(Eclipse,1764年生まれ)の血統を調べると、知りうる最初期の祖先に対し、または父馬もしくは母馬が見つからない場合に対し、適切な寄与率を割り振ることは可能である。別表に示されているように、エクリプスの最も古い祖先で、アラブ種、バルブ種またはターク種として指定されていない祖先の遺伝的寄与率を合計すると、エクリプスのゲノムに対する非東洋馬の可能性がある遺伝的寄与率の合計は、およそ33.45%に等しい。このことは、知られていない祖先の一部がアラブ種、バルブ種もしくはターク種でないことを意味しないのはもちろん、それら不明の祖先のすべてがイギリスとアイルランドの在来馬もしくはその他のヨーロッパの在来馬であったことを意味するものでもない。しかしそれは、上記の合計寄与率はエクリプスの血統に対する非東洋種祖先の遺伝的寄与の大枠を示している。
他の2つの牡系の基礎父馬であるヘロド(Herod)とマッチェム(Matchem)の血統に対する不明の祖先による寄与は、ほぼ同じである。エクリプス、ヘロドおよびマッチェムは、さまざまな統計調査に基づくと、現代サラブレッドのゲノムのほぼ25%の祖先であるため、非東洋種祖先が現代サラブレッドに多大な寄与をしたと判断するのは困難ではない。
サラブレッドは、さまざまな祖先から受けた寄与の壮大な集大成である。アラブ種は、そのスタミナ、頑強さおよび洗練さであまねく知られており、バルブ種はスタミナで知られ、またトルコマン種(ターク種)は小型のアラブ種とバルブ種に対して大きさと強さの点で寄与したと思われる。一方、故アレキサンダー・マッケイ・スミス(Alexander Mackay-Smith)氏がその研究で間違いをしなかったとすれば、おそらくサラブレッド基礎牝馬の大部分を輩出したと思われるイングリッシュランニングホースの牝馬は、短距離でスピードを発揮するよう何世代にもわたり改良されてきたという可能性が非常に高い。現行の調査は、これらの基礎牝馬が優雅なアラブ種よりもアイルランドの力強い輓馬の血統にはるかに近いことを示しているため、サラブレッドのスピードそのものの劇的な向上および極めて強靭な筋肉は、これらの基礎牝馬に由来するということが容易に推測できる。
このことはもちろん、科学ではなく、単なる推測である。しかし、サラブレッドのスピードはいずれかの種に由来しているはずであり、我々が現時点で知っていることから考えると、このスピードはアラブ種に由来するものではおそらくないだろう。
By John P. Sparkman
[Thoroughbred Times 2010年11月27日「Thoroughbred is not an Arabian」]