マーク・トンプキンス(Mark Tompkins)調教師のニューマーケットについての見方は、「最初の2週間を乗り越えられたら、あと20年頑張ることができるだろう」というシンプルなものである。1975年にライアン・ジャーヴィス(Ryan Jarvis)調教師の下で働くためにやって来たこのヨークシャー出身者が、平地競走の発祥地であり、古い歴史から現代の複雑さに至るまでのすべてを有するニューマーケットを愛しているのは明らかだ。
ニューマーケットの構成要素はほとんど変わっておらず、無数のサラブレッドの朝調教の様子は他では見られない素晴らしい光景である。夏の晴れた日の早朝に、さまざまな馬群のあちこちで動き回る様子には、何か心を奪われるものがある。またローストフトからの風が身体を引き裂くように音を立てて吹きつける、薄暗く肌寒い4月の早朝でも、最悪のその体験を大目に見ることになるだろう」。
しかし、ニューマーケットは目に見えないところで常に変化している。トンプキンス調教師は次のように語る。「ここでは同じ状態のままのものはありません。ピーター・アモス(Peter Amos)氏は、1990年代前半から2006年までジョッキークラブエステーツ社(Jockey Club Estates)の素晴らしい最高経営責任者でした。同氏の就任時にニューマーケットには75人の調教師がおり、退任時にもなお同じ75人の調教師がいましたが、そのうち18人だけが同じ調教師でした。表面上の数だけでは真の姿は分かりません」。
「ニューマーケットには2,600頭の現役馬がいて、相変わらず多頭数を誇っていますが、マクツーム一族の貢献がニューマーケットの繁栄にとっていろいろな意味で不可欠であったと言っておかなければなりません」。
「75人の調教師を例として挙げるならば、上位5人は非常に快適な生活を送っており、その次に続く20人は低空飛行であるもののまずまずの生活をしています。そして、残りの何とか工夫して生活している50人の調教師は、悪戦苦闘しながら仕事をすべて自らこなしていますが、自ら馬を先導している調教師の姿を見ると、厩舎経営が厳しい状況にあることが判ります」。
「さらに調教師の請求額には、大きな幅があります。私は1日に52ポンド(約7,800円)請求しますが、ほんの35ポンド(約5,250円)しか請求しない調教師もいます。最高は90ポンド(約1万3,500円)を超えます。厩舎経営では経費を削ることはできず、それをした場合の唯一の被害者は馬です」。
「大きく異なる事柄は、第一に馬の何にお金を掛けるかです。私たちはダリンガムの牧場で多くの馬を生産し、またガロウビーにあるハリファックス卿(Lord Halifax)の所有地の一部を借りています。しかし、ボブズリターン(Bob’s Return)を1万4,000ギニー(約220万5,000円)、イーヴントップ(Even Top)を2万4000ギニー(約378万円)で購入しました。今では10万ギニー(約1,575万円)でセリに挑んでも、翌日のレーシングポスト紙のセリ報告で言及されることもありません。最近はいくつかの障害馬セールも同様です」。
「調教師は良い馬に恵まれる必要があり、サッカーも同じです。仮に時代遅れのクラブに少し上手い若者がいたとすると、そのクラブはプレミアリーグのチームに売り、資金を手に入れるはずです」。
トンプキンス氏は着いたとたんに“ニューマーケットが好きになり”、その愛着はずっと薄れていない。そして15年以上ニューマーケット調教師連合(Newmarket Trainers’ Federation)の会長を務め、さまざまな問題にしっかり目を向けてニューマーケットを守ってきた。トンプキンス氏は、「薬物はどこでも問題になっており、ニューマーケットも例外ではありません」と語る。そして1,500人収容できるデニーロズ・ナイトクラブ(De Niro’s nightclub)について、次のように付言する。「夜8時以降ニューマーケットは確かにイーストアングリア地区のナイトクラブの中心となりますが、あなたも恐らく夜の遅い時間に目抜き通りをあまり歩きたいとは思わないでしょう」。
「そしてニューマーケットには12軒〜14軒のベッティングショップがありますが、今日では、それらはすべて機械で販売する店だけとなっています」。
トンプキンス氏を職業上最も苛立たせていることは、上がる一方のコストである。同氏は次のように語る。「以前は、ハミルトン競馬場やエア競馬場のような北部の競馬場に馬を多く出走させていたものです。しかし輸送費が限度を超えて上昇し、引き合わないので、現在ではそうすることができません」。
「私たちはスコットランドのトルーンにあるマリーンホテルによく滞在したものです。そこには調教師、馬主、ブックメーカーなど競馬界の連中が2〜3日一緒に泊まっていましたが、今ではそういうことは全くありません」。
そしてトンプキンス氏は、レース賞金が低いスコットランドへの実際の輸送費について語るため、経理マネージャーのイアン・ベケット(Ian Beckett)氏に電話して、ヤーマス、グッドウッドおよびエア競馬場への馬輸送に関する経費の概要資料を取り寄せた。
下表は、馬主や調教師のためのお茶やサンドイッチ代さえも含まない、ありのままの最低限必要な経費であるが、仮にスコットランドのハミルトン競馬場で馬を出走させる遠征費と同じ額があれば、2人が週末のニューヨーク旅行に繰り出すことができる。
また、おそらく過去30年におけるニューマーケットの最大の変化は、オールを持って競馬界のガレー船を漕ぐ労働力、すなわち厩務員と女性厩務員の性格と構成である。
トンプキンス氏は次のように語る。「最近の若い人々は以前よりも高いレベルの教育を受け、賃金が改善され、間違いなく生活水準が上がっています。このため、非常に多くのインド人やパキスタン人のスタッフがニューマーケットで働くようになり、この傾向は、アイルランドの経済成長(「ケルトの虎」と呼ばれる)のために多くのアイルランド人が本国に戻った時期に特に顕著になりました」。
「インド人やパキスタン人は馬の世話が上手く、多くが家族に仕送りをしているので、働く意欲が旺盛です。ニューマーケットはあらゆる点で多文化的で、多くのポーランド人、チェコ人その他の東ヨーロッパ人がいて、また競馬学校には常に韓国人、中国人、日本人がいます」。
「そして年配の厩務員をまったく見なくなりました。パレスハウス調教場(Palace House Stables)にあったブルース・ホッブス(Bruce Hobbs)厩舎に行ったときはいつも、厩務員の平均年齢は55歳位に見えたことを思い出します。昔は北部の炭鉱で働いたり古い工場で人生を過ごすよりも、職を求めて南下して来ていました。現在では労働力全体が若返りました」。
ニューマーケットは、決してスキャンダルがなかった訳ではなく、馬や人間に関するスキャンダルが沢山あった。しかし今年は、マームード・アル・ザルーニ(Mahmood Al Zarooni)調教師のステロイド使用発覚という爆弾で最悪の状態となり、その後同調教師が8年間の調教停止処分を科されて、競馬は否定的な広告の嵐の真っただ中に立たされた。
トンプキンス氏は次のように語る。「BHA(英国競馬統轄機構)はアル・ザルーニ事件に極めて適切かつ迅速に対処しましたが、ニューマーケットは依然として問題を抱えています。ステロイドを含有するサンゲートの使用はこの事件とはやや異なる問題であるとしても、多くの調教師が関わっていたことは皆が知っています」。
「私が心配していることの1つは、平日でさえも毎晩獣医師を待機させている厩舎があることです。このことは、自分に自信がない調教師がいることを示しています」。
「調教師が馬の日常的な問題を扱う経験と知恵を持っていた頃は、獣医師のところへ駆け込むことはありませんでした。今では獣医師が調教を行っている例もあります」。
「私たちは皆、一定の薬物には体内残留時間が確立されていることを知っています。たとえば、ガストロガード(Gastrogard)は4日間、ビュート(Bute)は1週間です」。
「獣医師がサンゲートを使って馬を治療していたら、調教師はその薬物には実際何が含まれているかを尋ねるようなことはないでしょう。結果としてサンゲート事件に巻き込まれた調教師もおり、この件の措置としては過怠金が妥当な線でしょう」。
ニューマーケット競馬場の秋季競馬が縮小したことは、ニューマーケットの熱烈な支持者の多くに衝撃を与えた。トンプキンス氏は、「英チャンピオンS(G1)を失うことは大きな失望であり、ニューマーケットの平地シーズンを締めくくるおなじみの形を失いました」と語った。
「長期的には、20年ほどのうちにニューマーケットが必要とし、その発展の後押しをすることになるのは全天候馬場でしょう」。
「私はニューマーケットが今でも大好きで、車での帰宅途中にいつも心が躍ります」。
「そして私たちはハッチフィールド牧場(Hatchfield Farm)の開発計画のような重要な共通問題に直面するときには、一丸となれることを示しました。現在ハッチフィールド牧場の縮小した開発計画がありますが、ニューマーケットの人々はこれも必要としていません。ご遠慮します」。
「ここは馬を調教するのに世界一素晴らしい場所であり、ニューマーケットに匹敵する場所が出現することはないでしょう」。
ニューマーケットから遠距離競馬場への馬輸送費 | |||
エア競馬場(3日間) | ヤーマス競馬場 | グッドウッド競馬場 | |
出走レース発走時刻 | 2日目 | 午後5時30分 | 午後6時30分 |
運転手・厩務員 出発 | 午前6時30分 | 午前6時30分 | 午前6時30分 |
到着 | (各日)午後6時30分 | 午後8時30分 | 真夜中 |
労働時間 超勤 |
12時間 (5.5×3日=16.5時間) |
14時間 (6.5時間) |
17.5時間 (10時間) |
超過時間料金(1人あたり) |
£6.5+NI=£122 (1万8,300円) |
£6.5+NI=£48 (7,200円) |
£6.5+NI=£74 (1万1,100円) |
日当(1人あたり) |
£10×3日+£15×2=£60 (9,000円) |
£10 (1,500円) |
- |
人 件 費 |
£364 (5万4,600円) |
£116 (1万7,400円) |
£175 (2万6,250円) |
輸送経費 (1マイル=£1.20) |
@1.20×800=£960 (14万4,000円) |
@1.20×150=£180 (2万7,000円) |
@1.20×320=£384 (5万7,600円) |
輸送費総額 (調教師出費・付加価値税抜き) |
£1,324 (19万8,600円) |
£296 (4万4,400円) |
£559 (8万3,850円) |
※NIは国民保険(national insurance)
By Alastair Down
(1ポンド=約150円)
[Racing Post 2013年7月20日「The best place to train racehorses in the world」]