1. 競馬に熱中した大統領
アメリカ合衆国が独立して間もない頃、競馬はかなりの人気を博していた。ワシントンのナショナル競馬場に熱心に通う者の中には、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソンとその妻ドリーなどがいた。しかし、アンドリュー・ジャクソン(第7代大統領 1829~37年)ほど競馬に情熱を注いだ大統領は他にいなかっただろう。ジャクソン大統領は、現在財務省ビルが建っている場所にあったホワイトハウスに厩舎を特別に建設し、テネシー州ナッシュビルから馬を輸送して入厩させた。
2. シービスケットのマッチレースに夢中になった大統領
世界恐慌時代、予期していなかったシービスケットの快進撃は米国のあらゆる階層の人々の心をとらえた。そして1938年のシービスケットとウォーアドミラルの壮大なマッチレースは、フランクリン・ルーズベルト(第32代大統領 1933~45年)の気を引かずにいられなかった。このマッチレースは、大群衆が殺到しないように、平日の11月1日(火)に設定されたが、それでも4万人以上の観客がピムリコ競馬場に駆けつけた。ルーズベルトはラジオでクレム・マッカーシーの名実況を聞くために、閣僚会議のメンバーを待たせた。クレム・マッカーシーは報道室まで辿りつけず、ゴール板のそばに座って実況していた。
3. 馬を調教した大統領
米国大統領の名を命名された競走馬は沢山いる。しかし、ロナルド・レーガン(第40代大統領)は馬を調教したことがあると言い張ることができる。元映画俳優のレーガンは『サージェントマーフィー(Sergeant Murphy)』(1938年)に出演した。この映画は、軍馬サージェントマーフィーを1923年グランドナショナル(エイントリー競馬場)の優勝馬に育て上げた米国の騎兵の実話にほぼ基づいている。
4. 在任中にケンタッキーダービーを観戦した大統領
リチャード・ニクソン(第37代大統領 1969年~74年)は1969年にチャーチルダウンズ競馬場を訪れ、在任中にケンタッキーダービーを現地観戦した唯一の大統領となった。普段好んで飲んでいるスコッチ&ソーダではなくミントジュレップを飲むか尋ねられたときに、ニクソンは"ケンタッキースタイルでレースを楽しみたい"と答えた。彼は馬券を買わなかったと伝えられているが、関係者が同郷のカリフォルニアの人々であるという理由から、実際優勝することになるマジェスティックプリンス(Majestic Prince)を本命としていた。
5. 大統領により重要ポストに起用された馬主
大統領により重要なポストに任命された有名馬主もいる。リンドン・ジョンソン大統領(第36代大統領)のもとで駐アイルランド大使を務めたレイモンド・ゲスト(Raymond Guest)氏は、1962年と1968年の英ダービーをそれぞれラークスパー(Larkspur)とサーアイヴァー(Sir Ivor)で制した。その後、レスカルゴ(L'Escargot)でチェルトナムゴールドカップを2勝し、グランドナショナルを優勝した。ジョージ・W・ブッシュ(第43代大統領 2001年~09年)はレーンズエンド牧場の創設者ウィリアム・S・ファリッシュ(William S Farish)氏を駐英国大使に任命した。ファリッシュ氏はその任期中に2003年英オークスをカジュアルルック(Casual Look)で制した。
6. 3人の大統領が観戦した1983年ケンタッキーダービー
1983年のケンタッキーダービーは、2人の元大統領が観戦した。それは、ジミー・カーター(第39代大統領)とジェラルド・フォード(第38代大統領)である。また、当時副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ(第41代大統領)も臨席していた。カーターがケンタッキーダービーに唯一この時だけ来た理由は、伝説的ホースマンのトム・ジェントリー(Tom Gentry)氏から強い要請があったからだ。その日の第4レースでジェントリー氏のフラッグアドミラル(Flag Admiral)の鞍上がラフィット・ピンカイJr.(Laffit Pincay jr)からホルヘ・ベラスケス(Jorge Velasquez)に変更となったとき、元大統領は流暢なスペイン語でベラスケスに指示を与え大いに役立った。ベラスケスはそのレースで優勝した。
7. ケンタッキーダービー観戦回数最多のフォード大統領
ジェラルド・フォードはケンタッキーダービーを13回も現地観戦した。これは、歴代大統領の中で最多である。一番好きなケンタッキーダービー馬として、1980年の優勝牝馬ジェニュインリスク(Genuine Risk)を挙げている。1993年ケンタッキーダービーを記念する雑誌の中で、フォードは自身と妻ベティのチャーチルダウンズ競馬場への愛着についてこう述べている。「ケンタッキーダービーにはいつもワクワクしてきました。米国最高のスポーツイベントの1つです」。
8. ジョージ・W・ブッシュ大統領が催した公式晩餐会
エリザベス女王は2007年、チャーチルダウンズ競馬場でストリートセンス(Street Sense)のダービー制覇を目にした。その数日後に、ジョージ・W・ブッシュ大統領はホワイトハウスで女王のための公式晩餐会を催し、ストリートセンスに騎乗したカルヴィン・ボレルを招待した。大統領にハグされ、サインしたメニューをコリン・パウエル国務長官と交換したボレル騎手は、「ケンタッキーダービーを制した時と同じぐらい信じられないことです」と語った。
9. トランプ氏の馬取引
2016年の大統領選の間、ワシントンポスト紙をはじめとする各紙は、トランプ氏が1988年に高く評価されていたレイズアネイティブ産駒を購買するために行った取引の話を蒸し返した。この取引は悲惨な結果となった。この話は、ジョン・オドンネル(John O'Donnell)氏が執筆した1991年発行の暴露本『トランプド!(Trumped!)』で初めて明らかにされた。オドンネル氏は以前、トランプ・プラザ・ホテル&カジノの社長を務めていた。2016年の報道によれば、トランプ氏は2歳牡駒アリバイ(Alibi)を"DJトランプ(DJ Trump)"と改名することを条件に50万ドル(約5,250万円)で購買することに同意していた。
10. DJトランプのその後
この馬は殿堂入りトレーナーの故アレン・ジャーキンス(Allen Jerkens)氏に預託されたが、怪我を発症して引退を余儀なくされた。オドンネル氏によれば、トランプ氏は馬に"DJトランプ"と名付けること自体に半分の価値があるとし、その頃すでに馬主に対して半額の25万ドル(約2,625万円)に値下げするよう求めていた。そして馬が怪我をしたことを知り、その取引から完全に手を引いた。トランプ氏はこの本が発行されたときに、「不満を抱いた従業員の作り話だ」として跳ねつけ、"DJトランプ"と名付ける予定だった馬の話を「全く根拠のない虚報」と述べた。これは彼が将来繰返し言うことになるフレーズに聞こえませんか?
By Scott Burton
(1ドル=約105円)
[Racing Post 2018年1月21日「10 Things You Might Not Know About...US Presidents in Racing」]