海外競馬情報 2021年01月22日 - No.1 - 4
アブドゥラ殿下が築いたジャドモントファーム(国際)【生産】

 1956年のパリ。19歳のカリド・アブドゥラ殿下が数人の友人によって初めてロンシャン競馬場に連れて行かれたとき、その心に種がまかれた。このサウジアラビアの王族にとってそれが将来に影響を与える経験だったことは後になって判明する。殿下はその日の終わりに、いつか競走馬を所有することを心に誓った。

 その殿下の熱望は、現代において最も権威ある競馬・生産帝国を誕生させることになる。ジャドモントファームは今日、欧州でも米国でも卓越性の代名詞と言える。米国ではエクリプス賞を17回も受賞している。

 英2000ギニー(ニューマーケット)でノウンファクトがヌレイエフの失格により繰り上がり優勝を果たし、アブドゥラ殿下にクラシック初勝利をもたらしたのは40年前のことである。殿下はそのときに、中東出身の馬主として英国クラシック初制覇を達成した。さらに現在までに、欧州のクラシック競走をさらに28勝しており、うち26勝は自家生産馬により成し遂げられた。

 これは、まさに殿下がジャドモントファームを築き上げたときに心に描いていた方向性だった。同ファームは無類のサラブレッド牧場である。2010年~2012年に14戦14勝(うちG1・10勝)を挙げて無敗で競走生活を全うした遺伝子の傑作、フランケルを後世に残したときに頂点に達した。

 そのような状況において、アブドゥラ殿下の固く団結したマネージャーチームは、不安な気持ちで将来を案ずる資格があった。ジャドモントファームはアンコールに応えるために何ができるだろうか?

 その答えを得るのにはさほど時間が掛からなかった。エネイブルが2020年キングジョージ6世&クイーンエリザベスSでG1・11勝目を挙げてフランケルを凌駕し、最も成功した自家生産馬となったのだ。フランケルが同ファームの牝系4代にまでさかのぼる生産馬である一方で、エネイブルは牝系5代にまでさかのぼる。この詳細はジャドモントファームがどれほど強い土台の上に築かれたかを際立たせる。

初期のジャドモントファーム

 アブドゥラ殿下は1977年に1歳馬を3頭、その翌年にはさらに5頭購買した。1979年には購買額を大きくつり上げて、タタソールズ社1歳セールにおいて最高価格馬となった牡馬サンドホーク(Sand Hawk)を26万4,000ギニー(約3,881万円)で購買したにもかかわらず、殿下はいっそう深く競馬に関わることを切望した。競馬界の多くの巨人と同様に、自ら馬を生産することを望んだのだ。

 殿下は、エージェント(馬売買仲介者)のジェームズ・デラフーク(James Delahooke)氏をスタッドマネージャーに任命し、1980年代前半に大量に購買した牝馬が生んだ仔馬を育成するのにふさわしい牧場を見つけるように指示した。

 デラフーク氏は1982年、アイルランドと米国において主にヒューバート・シュナプカ(Hubert Schnapka)博士から一連の土地買収を行った。その中にはフェランズ(Ferrans 愛国キルデア州)とビレアスタッド(Belair Stud 米国ケンタッキー州)が含まれていた。それらの牧場は、ジャドモントファームの自家生産馬の第一波を育成することになり、その中には1988年欧州最優秀馬に選ばれたウォーニングが含まれていた。賽は投げられた。

 ウォーニングはその後起こることの前触れだった。父ノウンファクトは、殿下が初めて迎えた種牡馬であり、最初は英国バークシャー州ウォーグレーブのジャドモントファームで、その後は米国ケンタッキー州の同ファームで供用された。母スライトリーデンジャラス(Slightly Dangerous)は、殿下が1982年の3歳トレーニングセールで購買し、その年の英オークスで2着になった馬である。

 アブドゥラ殿下の将来の構想は、スライトリーデンジャラスのような壮麗な血統の牝馬を購買することをデラフーク氏に要求した。スライトリーデンジャラスはウォーニングの後に1993年英ダービー馬コマンダーインチーフ、1996年英ダービー2着馬ダシャンター(Dushyantor)、1990年愛ダービー2着馬ディプロイ(Deploy)、そしてG1馬ヤシュマク(Yashmak)を送り出した。

 実に、ジャドモントファームの優秀な自家生産馬の大部分は形成期に購買された基礎牝馬6頭の牝系にさかのぼる。最も有名なのは、基礎牝馬スーケラ(Sookera)の孫にあたるハシリ(Hasili)である。ハシリの仔には、G1馬のバンクスヒル、カシック、シャンゼリゼ、インターコンチネンタル、ヒートヘイズ、そして同ファームの種牡馬の中で大ベテランとも言えるダンシリ(2018年に種牡馬生活から引退)がいる。

 この根本から築き上げられた成功は、アブドゥラ殿下が最初から渇望していたものだ。ジョン・マグニア氏のクールモアスタッドや、無上の喜びをもって英国競馬界に参加しているおびただしい数の中東の裕福な有力者などとの激しい競合にもかかわらず、殿下はその成功を達成してきた。

活躍する自家生産馬

 ジャドモントファームの生産事業が拡大するのと同様に、競走馬の勢力範囲も広がった。欧州でのトップクラスにわずかに及ばない競走馬は、古馬になってから米国のレースで走らせていた。最初の頃はジョン・ゴスデン調教師、その後はボビー・フランケル調教師にそれらの馬を預託していた。この新たなチャンスに富んだ活躍の場で実力を発揮したのは、1980年代に欧州から移籍したアルファベイティム(Alphabatim)、エクスボーン(Exbourne)、ハティム(Hatim)、マーケトリー(Marquetry)であり、いずれもG1勝利を収めた。

 1980年代はまた、多くの人々がアブドゥラ殿下のそれまでの所有馬の中で最強と考える馬を出現させた。その馬、ダンシングブレーヴは1986年の英ダービーでは惜しくも勝利を逃したが、英2000ギニー、エクリプスS、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS、凱旋門賞を制し、ダービー以外の権威あるレースのほぼすべてを制した。崇拝される競走馬だったにもかかわらず、ジャドモントファームで生産されたのではなくセリで購買されたことで、ダンシングブレーヴのステータスはアブドゥラ殿下の目に希薄なものとして映っていた。

 殿下は80年代の終盤、増加する所有馬を入厩させるためにさらに土地買収を行った。ジャドモントファームの中枢となり増大する種牡馬群の拠点となるバンステッドマナースタッド(ニューマーケット郊外)を購入し、それを補完するために米国に500エーカー(約202 ha)以上の土地を購入した。

 他の2つの重要な牧場は、アブドゥラ殿下のマネージャーたちが自家生産馬の育成方法を最高のものに洗練させたときに購入された。ジャドモントファームは1,600エーカー(647ha)のエストコートエステート(グロスターシャー州)を購入し、バンステッドマナースタッドで生まれた若馬を夏の数ヵ月間にそこで放牧し、その後フェランズに送った。そしてフェランズと同じくキルデア州にあるニューアビースタッドも1990年代に操業を始めた。その火山灰質の軽い土壌の牧草地は冬場の放牧に適していた。

 このときまでに殿下がすべてに手を入れて1歳市場から撤退するほど、ジャドモントファームの生産力は高くなっていた。1990年半ばまでに、殿下は200頭以上の繁殖牝馬を所有し、すぐに自給自足できるようになった。

 ノウンファクトのニューマーケットでのクラシック優勝から20年も経たずして、ジャドモントファームの自家生産馬は英国クラシック5競走すべてを制覇していた。1999年にウィンスが英1000ギニーを制したときにすべてのカードが揃った。そしてその5年後に、2004年仏2000ギニーをアメリカンポストが制したおかげで、フランスでフルハウスが達成された。そのとき、アブドゥラ殿下の勝負服は向かうところ敵なしだった。

2000年を迎えて

 2000年を迎えてからの最初の10年間、ジャドモントファームは最強の状態にあった。自家生産馬である種牡馬群は、殿下とそのマネージャーたちが精通する繁殖牝馬群にとっての理想的な交配相手となった。ただ、競馬と生産に関するすべての事柄について最終決定には、いつも殿下が関わった。

 ジャドモントファームのスタッフは、アブドゥラ殿下が積極的に競馬に参加する姿勢を、数々の功績にとっての試金石として挙げている。殿下のその情熱は2008年~2011年に絶頂に達し、その4年間の各年においてG1馬(実頭数)を7頭、7頭、8頭、8頭送り出した。

 ジャドモントファームは2009年のボビー・フランケル調教師の逝去後に、米国で2歳馬群をようやく走らせ始めた。その中から、ボブ・バファート調教師に預託したアロゲートが頭角を現して2016年最優秀3歳馬に選出され、2017年ドバイワールドカップを制して史上最高賞金獲得馬となった。

 その前の2000年代の最初の数年において、ジャドモントファームはごく一握りの1歳の自家生産馬をフランケル調教師に預けていた。その中から台頭したのは2001年ケンタッキーオークス優勝馬フルート、2003年ベルモントS優勝馬エンパイアメーカーだった。がんで亡くなったフランケル調教師を、殿下は同ファームにとって極めて重要な人物と見なしていた。英国で向かうところ敵なしとなる馬に思い出深いフランケル調教師の名前を付けられたことは極めて的確だった。

 1947年にテューダーミンストレルが英2000ギニーを8馬身差で制するのを見た人々でさえも、フランケルはそれまでに見た中で最強の競走馬だと断言する。サー・ヘンリー・セシル調教師に手掛けられたフランケル(父ガリレオ)は、すべての生産者が心に抱く最も想像力に富んだ夢に命を吹き込んだ。その夢とは、いつか神話にちかいバランスがとれた馬を作り出すことだ。

 ジャドモントファームが才能ある自家生産馬に重きを置く姿勢は、まったく包括的なものである。同ファームのウェブサイトには1歳のときに購買されたダンシングブレーヴがかろうじて掲載されている。しかし同馬のアブドゥラ殿下の競馬人生への多大なる貢献は認識されておらず、同ファームが生産したG1馬リストを前にすると色あせる。

 12月20日にフランケル産駒のグレナディアガーズが日本の最高峰の2歳戦の1つである朝日杯フューチュリティSで優勝した。一方、これまでジャドモントファームの自家生産馬でG1を制した馬は113頭(実頭数)に上る。これらの馬は合計でG1を220勝している。同ファームが最近所有馬を大幅に減らしているものの、2021年以降にさらに数十頭ものG1馬を送り出すことは必至である。


By Julian Muscat

(1ポンド=約140円)

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[Thoroughbred Racing Commentary 2020年12月20日「The Prince with the golden touch」]