ジム・ボルジャー調教師が"薬物の不正使用はアイルランド競馬界の最大の問題"と述べたことや、米国の有名調教師が違法ドーピング組織に関与した容疑で逮捕・起訴されたことなどにより、競馬界全体のドーピング防止活動にこれまで以上に脚光が当たっているようだ。
英国・アイルランドの検査体制では確認できなかったジルパテロールの痕跡を、フランスギャロ(France Galop)の研究所が検出できたことは、注目を集めた凱旋門賞ウィークエンドの騒動での大きな論点となった。そしてそれは、豪州のロバート・スマードン(Robert Smerdon)調教師が"おそらく豪州競馬史上最大のスキャンダルだろう"と言われたドーピング行為により競馬界からの永久追放処分を受けてから、わずか3年しか経っていないのだ。
さらに、米国反ドーピング機構(WADA)が、来夏から米国競馬界のドーピング防止措置を統括する任務を引き受けるという重要な動きがある。WADAはランス・アームストロング(自転車競技選手)やアルベルト・サラザール(陸上選手)などが関わった今世紀最大のドーピングスキャンダルを暴いてきた。
本紙(レーシングポスト紙)はここ数週間、アイルランド・英国・フランス・香港・日本・豪州といった世界の主要競馬国に対して、どのようにドーピング防止活動を行っているかに関する情報の提供を依頼してきた。
それも、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けない標準的な年の検査体制を評価するために、2019年の統計を求めた。
豪州の主要な競馬統括機関のすべてに連絡を取ったが、本紙の質問に対して回答したのは8機関のうちの4機関だけだったため、豪州競馬界のドーピング防止活動全体を包括的に評価することはできない。
検査率
世界的に有名な香港ジョッキークラブ(HKJC)の競馬理化学研究所(Racing Laboratory)は、2019年に全出走馬に対して最大の割合の薬物検査を実施した。出走馬9,870頭に対して1万3,984件の検査を実施したのだ。各馬は競走当日の朝に検査を受け、5頭中1頭は競走後に検体を採取された。
JRA(日本中央競馬会)は、出走馬4万7,345頭に対して約1万5,000件の検査を実施しており、全出走馬の31.7%が検査を受けたことになる。一方フランス・英国・アイルランドでは、競走当日の検査はそれほど広範囲なものではなかった。
フランスギャロは2019年に全出走馬のうち17.5%から検体を採取しており、出走馬6万9,656頭に対して1万2,185件の検査を実施した。一方、英国ではBHA(英国競馬統括機構)が出走馬9万1,397頭に対して1万4,185件の検査を実施し、その検査率は15.5%だった。
アイルランド競馬監理委員会(IHRB)は合計3,782件の検査を実施した(ポイント・トゥ・ポイント競走での617件の検体採取は除く)。これは2019年の正式なレースへの全出走馬3万1,505頭の12%に相当する。
IHRBもJRAも競走前検査を行っていないが、IHRBは全出走馬に対する検査率を高めて、競走前の検体採取を近々導入することを約束している。
IHRBの最高獣医責任者兼アンチドーピング担当主任であるリン・ヒルヤー博士は本紙に対し、「昨年の競走当日の検査手順の見直しを受けて、今年は、(1)競馬場到着時の検査、(2)アルカリ性化を調べる検査、の2つの競走前検査を行います」と述べた。
英国での競走前検査は、2019年にBHAが採取して分析された全検体の8.8%(1,250件)を占めている。2019年にフランスギャロの監視下で行われた競走前検査はわずか35件で検査全体の0.2%にすぎなかった。 英国・フランス・香港の競馬統括機関は2019年に血液・尿・毛根の検体を採取したと述べた。一方、IHRBは同じく血液・尿の検体は採取したが、毛根検体は競技外検査でしか採取しなかった。
その後、IHRBは昨年夏から競馬場で毛根検査をするようになったが、JRAはそうした情報を開示しなかった。
競技外検査
アイルランドが最近発表した無認可施設への抜打ち検査の実施は、歓迎すべき進展である。英国とフランスはすでにこのような検査を導入しているので、アイルランド競馬界を他国の水準に近づけることになる。
BHAは、種馬場や育成施設などの無認可施設で実施している検査の件数を明らかにしていないが、それらは2019年に実施した競技外検査2,893件(英国の全検査の20.4%)の一部となっていると述べている。
IHRBは778件の競技外検査を実施した(アイルランドの全検査の20.6%)。一方、フランスギャロは1,035件の競技外検査を実施したほか、引退馬への検査を116件、種馬場での検査86件を実施した(フランスの全検査の10.2%)。
HKJCの監視下で行われた競技外検査は1,873件で、2019年の出走馬1,447頭(実頭数)を上回っていた。なお、これは香港の全検査の13.4%を占めている。
2019年に最も広範囲にわたる競技外検査体制をとっていたのは日本である。JRAは"約5,000検体(全検査の約33.3%)"を採取したが、そのうちのどれぐらいが分析されたかについて明らかにしなかった。
JRAの担当者は、JRA外施設にいる馬については、競走馬登録されているものに限り検査できると述べた。一方HKJCは、香港の競走馬はすべてHKJCの敷地内の厩舎にいると説明した。
豪州では、クイーンズランド州の競馬公正担当委員代理のマーク・エインズワース氏が、同州ではいつでもどこでもすべての競走登録馬を検査することができると述べた。西オーストラリア州レーシング&ウェイジャリング(RWWA)の裁決委員にとっても状況は同じである。
レーシングヴィクトリア(RV)の担当者は、2018-19年シーズンは競走前に7,322検体、競走後に4,804検体が採取され、競技外検査1,856件が実施されたと述べた。すなわち、全出走馬の3分の1近くが検体を採取されたことになる。
2018-19年シーズンに分析が実施されたすべての検査において、11検体から禁止薬物が検出されたので、陽性率は0.1%である。
陽性率
競走後検査の陽性率は、アイルランド・英国・フランスではほぼ同じだった。これはアジアの統括機関が分析した事例よりも高かった。
IHRBの検査体制において、競走後検査で9件の陽性が明らかになり、採取した検体の陽性率は0.3%に相当した。一方、778件の競技外検査で禁止薬物は確認されなかった。
IHRBによると、ポイント・トゥ・ポイント競走での4件を含むと、アイルランドにおける陽性13件のうち10件は、「競走当日前に十分な休薬期間を設けなかった」、「当該馬と密接に接触する人間が使用する薬物からの汚染」に関係するものだった。
BHAは、競走後検査1万42件のうち16件の陽性反応を認めた(0.2%)。一方、フランスギャロは競走後検査1万913件のうち1件少ない15件から禁止薬物を検出した(0.1%)。
英国競馬界では、競技外検査2,893件のうち4件の陽性反応があり(0.1%)、競走前検査では3件だった(0.2%)。一方、フランスでは競技外検査での陽性反応は同じく4件で、競走前検査ではゼロだった。
驚くべきことに、2019年にHKJCの管轄下にあった馬で、競走当日の朝に実施された薬物検査(1万27検体を分析)、または競走後検査(2,084検体を分析)に引っかかった馬はいなかった。
競技外検査における陽性反応7件は、競走日以外に採取された検体の陽性率が0.4%に相当することを示している。HKJCは競技外検査の陽性反応のいずれも、無許可の治療によるものではなかったことを明らかにした。
HKJCは、「7件の陽性反応のうち6件は、海外からの遠征馬が到着したときに採取された検体に関連しています。すべての事例において、特定された薬物は要件に従って申告されています」と述べている。
JRAでは、競走後検査の約1万検体の中で禁止薬物の陽性反応が1件出たが、競技外検査での陽性反応はなかった。
制裁とドーピング防止活動の資金
すべての競馬統括管轄区がいかなる濃度のアナボリックステロイドも禁止することを表明しており、これらの物質や成長ホルモンに陽性反応を示した馬には休薬期間を設けている。
IHRBには競馬界からの永久追放処分を言い渡す選択肢もあるが、これまでこの制裁が適用されたことはない。BHAは1年間の調教停止処分/14ヵ月間の出走停止処分を科す。フランスギャロの業務停止期間は6ヵ月から1年までさまざまであり、JRAは最短でも6ヵ月間の停止処分を下す。
HKJCは本紙に対し、「アナボリックステロイド/成長ホルモンを投与された馬は、その物質の投与日から6ヵ月以上経過するまで出走資格を失います。その後、HKJC上級競馬化学者が当該馬から採取した検体に禁止物質が含まれないことを示す証明書を発行して初めて、再び出走登録できます」と述べている。競走能力向上のために意図的にドーピングを行ったと判断された場合の制裁は、個々の事案の実状により左右される。しかし、JRAは3年もの実刑判決が下される可能性もあると警告している。
英国・アイルランド・日本・香港の競馬統括機関は、近年のドーピング防止活動のために費やされた資金についての詳細を述べなかった。しかしフランスギャロは、年間900万ユーロ(約11億7,000万円)を費やしていることを明らかにした。
フランスギャロの担当者は、「これは検査分析の費用に加えて、200人以上の従業員がドーピング予防のために完全に専念するための予算です」と述べた。
2019年に3,524件の検査を実施した西オーストラリア州レーシング&ウェイジャリング(RWWA)は本紙に対し、過去5年間に同州の禁止物質の取締りに640万豪ドル(約5億4,400万円)を費やしたと語った。
HKJCの競馬理化学研究所には、常勤スタッフ64人と非常勤スタッフ2人がおり、関係者は「55人が学士号以上の資格を持ち、そのうち13人が博士号、14人が修士号を取得しています」と述べた。
そして、「競馬理化学研究所は、1,500万ドル(約16億5,000万円)以上の主要設備を備えています。それには、薬物識別のために"薬物指紋(製造方法などの違いにより化学薬品の成分に生じる特徴)"をつくり出す最新型の質量分析計41台や、ドーピング規制のために馬から採取したリボ核酸とデオキシリボ核酸を分析する次世代のシークエンスシステムなどが含まれます」と付言した。
By Mark Boylan
(1ユーロ=約130円、1豪ドル=約85円、1ドル=約110円)
[Racing Post 2021年3月30日「How do British and Irish anti-doping operations compare to other jurisdictions?」]