米国各地には若いファンや前向きなエネルギーが不足している競馬場があり、そのような競馬場では入場者数が出走馬関係者数をかろうじて上回る程度だ。
一方で、デルマー・サラトガ・キーンランドといった競馬場では、普段の平日であっても活気あるイベントとして競馬が開催されている。
豊かな歴史を持つアーリントン競馬場も折にふれ、そうした競馬場を代表してきた。たしかに過去30年ほどは、最高峰レベルの競馬場に匹敵するような質のレースを日常的に施行してこなかったが、1985年に火事に見舞われた後に再建されたグランドスタンドと施設が米国随一のものであることはほぼ間違いない。
こうした競馬場への感謝の気持ちから、友人とともに"アーリントンミリオンデー(8月14日)"に駆けつけた。何千人もの人々と同様に、最後にもう一度、最高の日のアーリントンを見たいと思ったのだ。
逸話が豊富なアーリントン競馬場(シカゴ地域)の歴史において、今シーズンが最後の一章になると予想されている。オーナーのチャーチルダウンズ社(CDI)はすでに、アーリントンを開発用地として売却するために入札を募っており、競馬場は2022年の開催日程を申請しなかった。今年中に落札者が発表されるはずである。
8月14日にレースを楽しむ多くのファンの1人として、私は別れを惜しんでいた。ファンが競馬場のあちこちで写真を撮って少しでも多くの思い出を残そうとしているのを見て、私も数枚の写真を撮ったほどだ。観客席を占めていたのは主に地元の人々だったが、他の町の人々も多く訪れていた。グランドスタンド内の私が座った場所からさほど離れていないところで、競馬キャスターのキャトン・ブレダー氏が、友人や夫のダグ氏(フローラン・ジェルー騎手の代理人)と話していた。
32年前の1989年、その年のアーリントンミリオンの直前に、当時アーリントンの下見所監視委員だったダグ氏はパドックエリアでキャトン氏に結婚を申し込んだ。
彼女は8月14日、SNSにこう書きこんでいた。「私たちは今日、おそらく最後になるでしょうが、素晴らしい月日と人々、そしてあらゆる意味で建物そのもの以上に華々しさを誇るこの地を忘れないようにするために戻ってきました。結婚生活は競馬場よりも長続きするようですが、これまでどれほど活躍してきたことでしょうか」。
ブレダー氏は子どもの頃にアーリントンで競馬を知った。この競馬場を懐かしく思っているのは彼女だけではない。私の方はアーリントンで婚約したわけではなく、実はキーンランドで妻にプロポーズしたのだが、1992年の夏には、アーリントン競馬場のマーケティング部門で実習生として過ごしていた。芝生のエンターテイメントエリアの近くでバンドのセッティングを手伝ったり、バックストレッチでソフトボールをしたり、テイスト・オブ・シカゴ・フェスティバルのアーリントンブースで"アーリントンミリオンバー"というチョココーティングされたアイスバーを売ったりしていた。20歳の若者には悪くない場所だった。
ブレダー氏は8月16日にこう振り返った。「アーリントンでいつも良かったことは、この前向きなエネルギーでした。それに加えてとても魅力的な場所だったと思います。競馬を見たことがない人を連れて行きたくなるような場所だったのです。このスポーツでは珍しいことだと思います。多くの人々は、競馬場とは何か、競馬場のイメージ、競馬とは何か、について先入観を持っています。アーリントンはその固定観念や先入観を打ち破り、いくらかそれを覆し、競馬に全く別の表情を与えてくれると思います」。
悲しいかな、私たちはアーリントンの競馬史の最後の直線にいる。この競馬場は、CDIの利益追求、イリノイ州の政治家の遅すぎるゲーミング認可の犠牲となったのだ。アーリントンが2019年にようやくスロットマシンとスポーツベッティングの許可を得たとき、CDIはすでに近くにあるリバーズカジノ(イリノイ州デスプレーンズ)の62%の株式を購入していた。CDIはアーリントンでは納税額が高くなることを示唆していた。それに15マイル以内に2つのゲーミング施設をもつことを望んでいない。
昨年の夏、CDIのCEOビル・カースタンジェン氏は、「弊社にとっての長期的な解決策はアーリントンパークではありません。あの土地は、ある時期がくれば、ほかのもっと素晴らしい目的のために役立つでしょう」と述べている。
CDIの株を持たない競馬ファンはそう思っていない。
今開催が9月25日に閉幕すれば終わりが見えてくるため、8月14日のアーリントンの競馬開催にはまったく同じ幸福感はなかった。いくぶん祝賀会のようでもあったが、ブレダー氏が言うように、いくぶん葬儀のようでもあった。
この日の競馬開催は、アーリントンの通常の開催よりもずっと良かったが、往年の最高級のアーリントンミリオンデーのレベルを下回るものだった。ブルースDステークス(芝G1 従来の競走名:セクレタリアトS)が、最高レベルのアローワンス競走として通用していたかどうかと言ったところだろう。
それでも、この日のアーリントンではトップクラスのG1馬であるサンタバーバラやドメスティックスペンディングが出走し、世界トップクラスのライアン・ムーア騎手、ルイス・サエス騎手、フラヴィアン・プラ騎手らが騎乗した。
しかし最高の騎乗を達成したのは、以前はシカゴを拠点とし現在はケンタッキーを中心に活動しているジェームズ・グラハム騎手だった。ミスターDステークス(芝G1 従来の競走名:アーリントンミリオン)で、トゥーエミーズに騎乗したジェームズ・グラハム騎手はゆっくりしたペースで先頭に立ち続けて粘りきってドメスティックスペンディングを下した。
トゥーエミーズが向こう正面を落ち着いて走っているとき、スタンド側では怒りが爆発していた。わずか10人弱の記者やカメラマンが記者室でまだ記事を書いたり写真をアップロードしたりしている最中に、不可解なことに、アーリントン競馬場のトニー・ペトリロ会長から業務エリアから立ち去るよう言われたのである。
8月17日に本誌(ブラッドホース誌)の取材を受けたペトリロ会長は、業務エリアから記者を退去させたことについて公式に話すことを拒否した。また、同氏は16日付のメールの中で本誌のボブ・キーカファー氏にミスターDステークスに関する記事を完成させるために別の作業場所を提供したと述べていた。
いずれにしてもこの記者追放事件は、アーリントンそのものの終焉とほぼ同様に起こるべきことではなかった。
ブレダー氏はこう語った。「どんな場所にも好もうと好むまいと、始まりと終わりがあると理解しています。世の常なのかもしれません。しかし、競馬が統合されて米国に6つか8つ、あるいは世界に6つか8つの競馬場しかないような時代になるとしても、アーリントンはその候補の1つになるだろうといつも思っていました」。
「競馬産業の大半の人々は、アーリントンが最終候補リストに残るような競馬場が持つべき条件をすべて満たしているということに同意すると思います。どうもそうじゃない方向に行っている現実に心底がっかりしています。なぜこんなことが起こらなければならなかったのかを誰かに説明するのはとても難しいことです。というか、あまりいい説明が思いつかないんです」。
キャトンさん、私も同じです。まったく思いつきません。
By Byron King
(関連記事)海外競馬ニュース 2020年No.32「チャーチルダウンズ社、アーリントンパーク競馬場の売却を検討(アメリカ)」、2021年No.10 「アーリントンミリオン、今年はレース名を変更して施行(アメリカ)」
[bloodhorse.com 2021年8月17日「What's Going On Here: Down the Stretch at Arlington」]