頭ではもう少し分別を働かせられるが、心の中ではやはり英ダービー(G1)が一年で最も重要な種牡馬輩出レースだと私は信じている。しかし、2020年ダービー優勝馬サーペンタインが豪州でレースキャリアを続けるうえで去勢されたというニュースを聞いたとき、あまり大きな落胆と失望を抱かなかったことを認めざるをえない。
実のところ、必然的にこのような展開になる雰囲気はあった。不当なダービー馬がいると主張するつもりはないが、サーペンタインはたしかに異様なダービーの異様な優勝馬だったのだ。
エイダン・オブライエン調教師が管理したこの馬は、2歳時に一度走って大敗した。3歳となって新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウンの後に競馬が再開された6月、カラ競馬場の未勝利戦に出走したが5着に入るのがやっとだった。わずか2週間のあいだに彼はめきめきと力をつけ、同様のレースで9馬身差の圧勝を収めた。そしてクラシック候補にめずらしい[着外・5着・1着]という競走成績で、延期された英ダービー(エプソムダウンズ)に臨んだのだ。
エプソムで騎乗したエメット・マクナマラ騎手は、発走直後にサーペンタインにハナを取らせた。そのあとに続く12ハロン(約2400m)の道のりでこのコンビの視界に他馬が入ることはなかった。トッテナムコーナー(最終コーナー)で後続を12馬身引き離し、最も近くに迫ったハリファサットはゴールでサーペンタインに5½馬身差に詰め寄るのがやっとだった。
その見事な先行逃げ切りでサーペンタインは高く評価されるべきだった。しかしそれがフロック(まぐれ)でなかったと考えるのは難しかった。マクナムラ騎手自身が「ちょっとした"棚ボタ"でした」と言ったほどだったし、勝馬よりも高い評価を受けていたカメコ、モーグル、パイルドライヴァーのような馬の騎手たちはそのレース展開を確かに悔やんでいた。
サーペンタインはその後パリ大賞(G1)と英チャンピオンS(G1)で4着に入ったので面目をつぶすことはなかったが、同じような成績は再現できなかった。4歳シーズンには3戦したものの3着内に入ることはなかった。
2歳のときに未勝利だったこの馬の唯一の重賞勝利は少し異常だと広く認識されていたので、彼が競馬大国の種牡馬としてよりも豪州のせん馬のステイヤーとして重宝されたことは驚くにあたらない。
サーペンタインがとりわけ良血であることを考慮に入れるとしてもそうだろう。父はガリレオ、母は英オークス(G1)2着馬リメンバーホウェン(Remember When)。リメンバーホウェンは、ディラントーマス(2007年欧州年度代表馬)、クイーンロジック(2001年欧州最優秀2歳牝馬)、ホームカミングクイーン(2012年英1000ギニー優勝馬)の半姉妹である。
しかし何の因果か、その血統が仇になったように思われる。彼は、私が"ガリレオのパラドックス"と考えるにいたったものの犠牲になったのではなかろうか。
クールモアの一大現象ともいえる故ガリレオは、とてつもなくぎっしり詰まった種付予約に取り組み、数多の優良競走馬を送り出してきた。つまり近年において、彼が送り出した将来有望な種牡馬は決して不足していないということだ。
私の試算では、今年アイルランドで29頭、英国で12頭のガリレオ産駒が供用されている。そのほとんどが遺伝子プールを強化していることは確かだが、潜在的な購買者や利用者にとってこれほど豊富に供給される商品の価値が下がるのは経済学の基本である。
ガリレオに対して異端行為を働いていると非難されてしまう前に(歴史家の皆さんは皮肉なものだと思われるでしょうね)、彼の優良産駒に飽き飽きしているとか二束三文の価値しかないとか言うつもりではないことをはっきりさせておきたい。
ガリレオは2017年の産駒の中から重賞優勝した牡馬を11頭送り出し(サーペンタインはその1頭)、その前年の産駒の中からは15頭を送り出している。そしてこれらのガリレオ産駒がすでに種牡馬として供用されているとなると、今後はガリレオ産駒を供用するように種牡馬管理者に勧めるには、何かしら特別なことが必要となりそうだ。こうした十分な供給があるにもかかわらず、今年英国とアイルランドで招集されたガリレオ産駒はモーグル1頭だけだったということに注目したい。
ダービー制覇は、ガリレオ産駒に種牡馬となる権利を自動的に与える"何かしら特別なこと"であるべきだ。しかしパンデミックの中の異様な2020年ダービーでの1回かぎりの勝利では、物足りなかった。サーペンタインの新たな関係者たちは、この馬が去勢手術を受けてさらなる成功を手にする見込みがあることを本気で信じているにちがいない。
種牡馬となったガリレオ産駒の市場価値についての私の評価には、議論の余地があることは十分承知している。ただ私が認めない1つの議論は、サーペンタインの去勢はただ単に彼を取り巻く一連の独特な状況の結果ではなくダービーのステータスが著しく低下したことを示すというものである。
たしかにダービーは50年前と同じように大観衆を引き付けているわけでもメディアに大きく取り上げられているわけでもない。しかし、それは世の中が変わったからなのである。だから、アイリッシュタイムズ紙に「商業的なサラブレッド生産という観点からのこのレースの魅力が薄れていることが、241回目の優勝馬サーペンタインによって露骨に示されているように思われる」と書いたブライアン・オコーナー氏のような紋切り型のリアクションは勘弁してもらいたい。
それではまるで、ダービー馬のガリレオ・ニューアプローチ・シーザスターズ・キャメロット・オーストラリアが近年優良産駒を頻繁に送り出さずに種付料が高騰していなかったようである。それに、昨年の見事なダービー馬アダイヤーがついに種牡馬入りするときに生産者たちが牝馬を送り込むために列を作らないかのようでもある。
ダービーでもずば抜けた優勝馬が出にくくなっており、今後もそうなるだろう。しかし、それはG1競走全体の問題である。
成績の振るわないダービー馬が出るたびにすぐに信頼の危機に陥るのは、競馬界が短距離のスピード勝負に夢中になっているあまりに生じる心ない誹謗である。2000年~2010年にハンデ戦の常連馬が頻繁にG1のスプリント戦を制したことをうけ、キングズスタンドS(G1 約1000 m)やナンソープS(G1 約1000 m)の距離を延長するべきかどうかという議論が巻き起こったという記憶はない。
By Martin Stevens
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[Racing Post 2022年3月8日「'It's basic economics' - Serpentine's gelding operation and the Galileo paradox」]