180年の歴史に幕が下ろされるにはわずか15分しかかからなかった。
6月のシンガポールターフクラブ(Singapore Turf Club: STC)のCEOとの短いミーティングにおいて、シンガポールの調教師たちは2024年10月にシンガポール競馬の2世紀にわたる歴史に終止符が打たれることを知らされたのだ。
競馬産業がもう長くは存続しないかもしれないとの噂は流れていた。それでも競馬産業で生計を立てる何千もの人々にとって、この計画的な競馬崩壊のスピードは衝撃だった。彼らの多くは"当局がこの計画を意図的に隠蔽していた"と信じている。
シンガポール唯一の競馬場であるクランジは、2024年10月5日に最後の開催を実施する予定となっている。国有地不足のために、競馬場と厩舎のある120ヘクタールの土地は2027年までに政府に返還されるのだ。STCの職員たちは引き渡しまでの"スムーズな移行"を約束している。しかし調教師たちは、数ヵ月のうちに競馬が崩壊するのではないかと危惧している。競馬参加者は一気に国外に脱出し、その後には約700頭を移籍させるロジスティクス(輸送)の悪夢が待ち構えているのだ。
政府が土地を必要としているということを一般論として受け入れる一方で、「つい2015年まで大規模な国際競走を実施していた競馬国をこれほど急速に、しかもほとんど前触れもなく崩壊させてしまうようなことが許されるのか」という痛恨の声も聞かれる。それは世界中の競馬に警鐘を鳴らすものであり、長い競馬史を誇る国であっても競馬が当然のものとして存在する権利はないということを痛感させるものである。
それにしても、この驚くべき崩壊の背後には一体何があったのだろうか?そしてそれを回避するために何か違うやり方はできなかったのだろうか?
「最初の5~10年はとても前向きでした」
1842年にスコットランドの商人によりシンガポールターフクラブ(STC)が創設され、20世紀の始めから終わりまで競馬は人気を博し発展した。1972年にはエリザベス女王が初めてシンガポールを訪れ、1989年にはコロニアルチーフが第2回香港カップで優勝し、競馬の世界地図にシンガポールを登場させた。
しかしその勢いが一気に加速したのは2000年にクランジ競馬場がオープンしたときだった。この近代的な競馬場が姿を現すとともに、クリスフライヤー国際スプリントとシンガポール航空国際カップという2つの主要国際競走が新設された。2002年にはフランキー・デットーリが鞍上を務めたゴドルフィンのG1馬グランデラが国際カップを制した。
クランジの厩舎地区は1,600頭以上を収容できるので、多くの調教師が押し寄せることになった。その中には調教師協会の会長を務め、直近では3年前にリーディングタイトルを獲得したマイケル・クレメンツ調教師がいた。
クレメンツ調教師はジンバブエで調教活動を5年間行ったのち、シンガポールへの移籍が認められた。
「STCはクランジへの移行に伴い、レースの充実に貢献してくれるようなシンガポールへの移住者を探していました。最初の5年~10年は本当に前向きで、国際競走も開催されました。競馬は健闘していたのです」。
シンガポールは"香港の弟"と呼ばれるようになった。2012年には4年連続で発売金が10億シンガポールドル(約1,050億円)を超え、現役馬は1,500頭近くにのぼり、そのシーズンの競走数は過去最多となった。
それから亀裂が入り始めた。2015年に主要国際競走が廃止され、シンガポール競馬は孤立していった。STCは国内の馬の質を向上させるという目的を達成したからだと述べたが、開催費用や遠征費補助も廃止の要因のひとつだと言われている。
国内では人々の関心が低下した。入場者数は2010年に1日平均1万1,000人だったのが、2019年には6,000人、2022年には2,600人のドン底にまで落ち込んだ。"ギャンブルとの関連性からSTCは競馬をマーケティングできない"という政府の規制により、この傾向は容易に覆せなかった。
STCは2019年、人々の関心を集めるために宝くじ&スポーツ賭事運営業者であるシンガポール・プールズ(Singapore Pools)に賭事部門を譲渡した。多くの人々は、この措置により競馬に固定オッズ賭事がもたらされ、馬券購入者を呼び戻すことのできるプラットフォームにつながると期待していた。多くの馬券購入者が人気ある違法賭事業者や、2010年に国の観光産業の後押しでオープンした2つのカジノに奪われていたからだ。しかし期待どおりにはならなかった。むしろ厳格に規制された市場において競馬はほかの公営ギャンブルに遅れをとっており、賭事に対する世間の偏見もあって救われることはなかった。
2022年のユーゴヴ(YouGov)の世論調査では、国民のほぼ10人に6人が"オンライン賭事は違法であるべきだと思う"と回答している。
クレメンツ調教師はこう語っている。「どの競馬開催国であってもここで起こったようなことを少しでも経験すれば、おそらく苦戦を強いられるでしょう。10年前のカジノ開業は競馬にとって大きな試練でした。それを乗り越えたあとに、新型コロナがやってきたのです。以来、入場者数は減少しています」。
「シンガポールはギャンブルに関してはきわめて保守的で、政府からまともな支援があったためしはありません。競馬がギャンブルと結びついているせいですね」。
「事態を好転させるような適切な人物を確保できていなかったのです」
政府のあからさまな反ギャンブル的な態度を克服するのが難しいことは明白である。一方でシンガポールの競馬関係者の多くは、STCがもっと擁護してアピールしていればいっそう多くのことを達成できたと考えている。それどころか、政府によって任命された高官たちは競馬の知識が乏しかったと言われている。ある馬主は「適切なサポートがあり、知識豊富な経営陣がいたら、ここは素晴らしい場所になっただろう」と断定した。
調教師たちは2020年、不満を訴えるためにSTCに嘆願書を提出し、競馬開催が許可された。しかし2022年4月までは困難だった。新型コロナの世界的大流行のあと競馬がどのように成長することができるかについて関係者が明確な考えを持っていないことが懸念された。それに対して、マレーシアのようなほかの国は新しいタイプの馬券や海外賭事業者との取引などについてより創造的に考えていた。
クレメンツ調教師はこう続ける。「この10年間、シンガポールでは明らかに競馬経営を誤ったのです。事態を好転させるような適切な人物を確保できていなかったのです。STCが民間組織でないことも一因ですが、競馬に精通していない人ばかりで、私たちを正しい方向に導いてくれませんでした」。
クレメンツ調教師はオンライン賭事プラットフォームを確立できなかったことが致命的だったと述べる。シンガポールでオンライン賭事は2016年になってようやく合法化され、シンガポール・プールズにより独占運営されてきた。しかしクレメンツ調教師によれば、それは違法賭事業者の人気の"足元にも及ばない"。そのような業者で賭けを行うと実刑判決をうける可能性があるにもかかわらずだ。
スティーヴン・グレイ調教師も同じ見解である。2000年からシンガポールで調教活動を行う彼は、エンペラーマックス(Emperor Max)などの管理馬を海外遠征させたことで最もよく知られている。新型コロナが大流行したときシンガポールは"準備不足"であり、ほかの国のようにオンライン賭事の急成長から恩恵を受けられなかったと彼は考えている。
「新型コロナの感染拡大により、競馬場に人を集めて馬券を購入させるという昔ながらの方法に頼っているお粗末なビジネスモデルが露呈しました。一方でほかの国はオンライン賭事の売上げで利益を得ていたのです。結局のところ、STCは政府の規制のせいで思いどおりの運営がやりにくかったのですが、昨年は利益を上げたのです。シンガポールで競馬が適切に経営されれば、どのようになるかを示しています」。
「シンガポール競馬界には本当の意味での代弁者がおらず、あまりにも長いあいだ自分のやり方に固執してきたのです。それが競馬終焉の原因なのかどうか私には分かりません。ただSTCは多くのことに徹底的に挑戦しようとしませんでした。ここでの競馬はうまくいくはずだったのに残念です」。
STCにコメントを求めたが回答はなかった。
「ほかにも再開発できる土地はあります」
競馬場がひとつしかないせいでシンガポール競馬界がつねに脆弱だったことは否めない。STCは結局のところ、クランジの土地を引き渡す以外の選択肢を与えられていなかった。
政府には民間の広大な土地を買収する権限があり、クランジの土地については大きな開発計画がある。ほとんどが公営住宅に使われる予定であり、アナリストによると2万~4万戸の住宅が新設される可能性があるという。エンターテインメント拠点やライフスタイルに合ったコミュニティ施設も計画されており、近隣の野生動物公園や湿地保護区を探検したい人々の拠点になることが期待されている。
そもそも世紀の変わり目のクランジへの移転と同じようなシナリオなのだ。そのときも、古いブキ・ティマ競馬場があった一等地を開発したいという政府の意向によるところがあった。その競馬場は1999年に閉鎖されたにもかかわらず、土地開発工事はまだ始まってもいない。
クランジはシンガポールでも物価の安い地域とされているが、その土地でさえも再開発の有力候補地だった。コロナ前は土地の一部だけを開発して競馬場と厩舎を保護すると示唆されていたが、最終的には政府がその土地全体を手に入れることを決定した。
しかし、シンガポールの権力構造の上層部で競馬がもっと支持されていれば代替案が見つかっていただろうと考える競馬関係者も多い。
クレメンツ調教師は、「政府は国土の開発について話していますが、ほかにも再開発できる土地はあります。ただ単に住宅を増やす目的の土地返還ではなさそうです」。
「大混乱に陥るでしょう」
競馬参加者はシンガポールの競馬崩壊の背景にある圧倒的要素を2つ挙げる。政府や社会が反ギャンブルの姿勢をとっているせいで競馬が支持を得られなかったこと、そして競馬界の指導者が経営を誤ったことである。クランジ閉場の決定が伝えられたときのやり方にほど、これらの要素が顕著に表れたことはなかった。
クレメンツ調教師はこう語る。「私たちはSTCが昨年から知っていたということを確認しました。ほかの情報筋によると、2021年末に決定したようです。これは深刻な懸念のひとつです。私たちは競馬界を支援してコロナ後の再建に努めましたが、一方で彼らはずっと何が本当に起きていたのかを知っていたのです。誰もが秘密厳守を誓わされていたのでしょうが」。
「私の場合は豪州とニュージーランドの厩舎に18頭を在厩させていて、来年か再来年にこちらに連れて来る予定でした。シンガポールのレースで走らせるために購買していたのです。STCは少し前からこのような事態になることを知っていたはずなのに、理解しがたいことですね」。
グレイ調教師は、コロナ後に競馬産業は危機を脱し始めたところだったと確信している。
「現役馬が1,500頭から700頭に減ってしまいましたが、それでも将来に対して前向きでしたし、調教事業もふたたび軌道に乗り始めていました。コロナ後に競馬産業に活気が戻ってきているのを目の当たりにしたのです。注目レースも再開され、馬主にもインセンティブが与えられるようになりました。だから誰もが馬を買いに行きました。競馬にふたたび参加したいと頼んでくる人もたくさんいました」。
「崖から突き落とされたようなものです。コロナ後に競馬を復活させるために粘り強く戦ってきたのに、こんなことになるとは思ってもみませんでした。馬主は今年も馬を買ってこの業界に投資していました。STCのCEOは"馬を購買しに行ってください"と命じたことは一度もない言うが、"購買しに行かないでください"とも言っていないのです」。
今や懸念は、2024年10月の最終開催に向けてどのように競馬の段階的な縮小を進めていくかという事に移っている。合計716頭の現役馬がいて、その世話をする厩舎スタッフがいることは言うまでもない。STCの職員には解雇手当が支給され、馬主にはしばらく留まるように預託費補助というインセンティブが与えられる。しかし、333人の厩舎スタッフに対する明確なプランはない。
STCは主に豪州とニュージーランドから調達している馬を送還するとも述べているが、それらの馬を輸送はまだうまくいっておらず、馬主のポール・ヒックマン氏は「悲劇が起ころうとしている」と言う。
英国出身のヒックマン氏は1996年にシンガポールに移住し、現在でも12頭を所有しており、クランジ閉場が発表される直前まで馬を購買し続けていた。彼は、「このような短期間で700頭の里親をどうやって探すのかまったく見当がつきません。これほど素晴らしい競馬場を閉場しようとしているのは悲劇ですが、それ以上の悲劇は、競馬産業に撤退するための適切な手順すら踏ませようともせず終了させようとしていることです。このままでは大混乱に陥るでしょう」。
閉場の発表から新たな進展はない。しかし撤退戦略の詳細を詰めるための会議が開かれている。調教師たちはSTCの役員たちと会合を持ち、約500人からなる馬主グループとも話し合った。これらの団体が団結して政府に訴えを起こす計画もある。
STCは"威厳あるかたち"で競馬を終わらせたいとの考えを示した。しかし、多く競馬関係者が去ってしまうことになるため、セレモニーとなるような最終開催を行うなどという考えはおよそ図々しいものだと証明されることになるだろう。地元騎手の中には攻馬手が不足している香港や豪州での仕事が決まっている者もいる。調教師たちも次のステップを考えなければならない。
クレメンツ調教師は、「どうすればいいかを考えるのは時期尚早だと思いますね。不意討ちを受けてしまったばっかりに、今は感情的になりすぎているのです。来年の10月まで調教師として頑張りたいところですが、競馬の崩壊を懸念しています。延期してほしいとも話しましたが、基本的に取り合ってもらえませんでした」。
ほかにも競馬が危機に瀕している国はあるのか?
シンガポールで競馬が衰退した理由が心配になるぐらい当てはまる国がほかに多くある。競馬界が存在意義を維持しようと戦っているものの政府からの支持が得られていない国はシンガポールだけではない。
また、ひとつの競馬場やひとつの組織の成功に依存している国もシンガポールだけではない。欧州ではエストニアとスロバキアがそれぞれひとつずつしか競馬場を持たない。遠く離れたところでは、モーリシャスとケニアも同様だ。
クランジでの競馬終了は、近年苦戦を強いられている近隣のマレーシアやマカオの競馬クラブにも連鎖反応をもたらすだろう。
短期的には、これらの国々に馬・調教師・騎手が流入する可能性がある。セランゴールターフクラブはマレーシアの3つのクラブの中でも最も進んでいて、シンガポールからの移籍馬を入厩させるために200頭収容の厩舎を新設している。年間およそ100頭が移籍してくるが、たいていは落ち目の馬だ。マカオも同様で、最近は現役馬の頭数が伸び悩んでいる。
シンガポールからの馬の流入がマカオとマレーシアの競馬の持続を助けてきたので、今回も短期的な後押しにはなるかもしれない。しかしそれらの国で提供される賞金は多くの馬主を引きつけることはできないだろう。また来年にはシンガポールから優良馬が運ばれてくるベルトコンベアーは急停止してしまうのだ。
マカオとシンガポールでリーディングを獲得したことのあるマノエル・ヌネス(Manoel Nunes)調教師はこう語った。「シンガポール競馬の終焉はマレーシア競馬にも影響を与えるでしょう。シンガポールは国内で十分な成績を収めなくなった馬を提供してきました。数年後にはマレーシアの競馬も終了するかもしれません。賞金もそれほど良くなく、馬主もそこで出走させるために馬を購買しないでしょう。管理馬のうち数頭がマカオに行けることを望んでいます。なぜなら、このままマカオの競馬が衰退していくのを見るのは悲しいことだからです」。
By Jonathan Harding
(1シンガポールドル=約105円)
[Racing Post 2023年7月1日「'We've been thrown off a cliff' - the inside story of the collapse of racing in Singapore」]