最初に目に飛び込んでくるのは、もうひとつのサンシロだろう。正式にはジュゼッペ・メアッツァ・スタジアムとして知られ、ミラノ西部の風景だけでなく大半のミラノ市民の心を支配している。
1990年サッカーワールドカップのために再設計されたこのブルータリズム建築の殿堂は、いずれその役目を終えるときには現代建築のモニュメントとして保存されるかもしれない。今はイタリアサッカー界の2大巨頭、ミラン(このあたりではACミランとは呼ばない)とインテルの本拠地である。赤か青かどちらかにしろということだ。もしそれについて疑問をもつ者があれば、街角にある仮面をかぶったミランの悪魔がインテルブルーの大蛇を絞め殺している壁画を見るがいい。
ミラノ本拠地の両チームが相まみえる1週間後のミラノダービー(9月17日)の時期だったら、雰囲気はまたがらりと変わっていただろう。そんなときに「実は馬のセリに行くのだ」と話したりしたら、ファンが一体どう思うか、誰も見当がつかないだろう。
ミラノ市民の愛情の中で競馬というスポーツがそのような位置を占めることができていたならどんなに幸福なことだったろう。それに地球上で最も壮麗な競馬場のひとつがわずか道路を1本隔てたところにあるのだから、なんとも惜しい話である。
近代的な地区にひっそりと佇むサンシロ競馬場には、100年以上の歴史を持つグランドスタンドがある。内部は豪華ではないが、ファッションの都にマッチして、いかにもイタリアらしい洗練さを備えている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの未完成のブロンズ像に着想を得た「レオナルドの馬」は、1999年に米国の美術愛好家の遺産から市に寄贈されたものである。グランドスタンドの後方に設置されたこの像は24フィート(約7.3m)もあってやや威圧的だが、ほかにも小さな彫刻、整然とした生け垣、パドック脇の木々の下には魅力的なカフェがある。
英国のカルト的なTV番組『ガゼッタ・フットボール・イタリア』で司会者のジェームズ・リチャードソンは巨大なカプチーノを横に置いて試合を予想していた。その競馬バージョンを放送するというアイデアはとても魅力的に思えた。しかし残念なことに、最近では競馬について特筆すべきニュースはほとんどない。
本紙(レーシングポスト紙)が関心を持ってSGAセレクト1歳セール(9月9日 サンシロ)を取材しているのを見て、誰もがとても喜んでいるようだった。リボーが活躍した1950年代には、こういったメディアにも特派員がいたのかもしれない。しかし今では、ヴァルフレード・ヴァリアーニ調教師(現在は馬購買エージェント)がスーパータッサでヨークシャーオークス(G1)を制してから20年以上が経っている。
競馬は忘れ去られるほど衰えた。競馬について内々で話す人はたくさんいるが、イタリア競馬の停滞状態について公式に話そうとする人はほとんどいない。官僚主義と内輪もめが複雑に絡み合った狭い世界なのだ。
しかし、賞金支払いの遅延という重大な問題では団結していた。競馬は農業・食料主権・森林省(Masaf)の管轄だが、馬主に賞金が届くまでに半年以上かかることもある。そのため、調教師・騎手・厩舎スタッフへの支払いに問題が生じている。
何人かの有力者はMasafのトップが頻繁に変わることにとりわけフラストレーションを感じていると主張した。ある大臣と打開策が見つけられたと思った途端に、彼らはいなくなってしまうのだ。
この財政的な行き詰まりによる連鎖反応は苦痛を伴うものだった。イタリアは2019年に最後のG1競走を失い、ヨーロッパ・パターン競走委員会(EPC)の"準メンバー"に降格させられた。ほかの重賞競走も格下げとなり、現在イタリアで施行されている重賞競走は20レースほどに過ぎず、その多くが危機に瀕している。
そのようなトラブルに加えて、イタリアは国際的な組織から疎まれるようになり、薬物検査を頻繁に行うだけではなく競走成績や公式レースの審議について満足できるデータベースを提供するように求められている。
レーティングを上げるために外国馬に出走してもらうことが必要だが、賞金の問題もあり、多くの関係者が自分たちの馬をイタリアに遠征させることに二の足を踏んでいる。
このようなさまざまな災難により、サラブレッドは減っていき、生産頭数は数千頭から数百頭へと減少している。これはセリに影響を及ぼし、選べる1歳馬の数が少なくなっている。
その結果、海外からの購買者を引き付けることが困難となっており、実際に海外に魅力をアピールできる馬はほんの一握りしかいない。16万ユーロ(約2,480万円)で落札された最高価格馬はまさにそのような馬である。それはラッツァデルヴェリーノ牧場(Haras Razza del Velino ローマ近郊)により生産されたシーザスターズの牝駒であり、アイルランドの厩舎に入る予定である。もうひとつの名門牧場、ラッツァデルソーレ(Razza Del Sole)も9日9日(土)の英スプリントカップ(G1)優勝馬リージョナルを送り出しており、彼らはまだ役割を果たそうとしている。
以前は速歩競走の競馬場で開催されていたセリはサンシロ競馬場に移動しており、くつろいだ雰囲気でありながらもプロ意識が漂っている。それはこの環境によって強化されており、より多くの訪問者を魅了して、この競馬場を愛してもらうひとつの方法は、同じ週末に必ず競馬を施行するようにすることだろう。
興味深いことに、ある馬購買エージェントによると、母国で馬を走らせることを望むイタリア系アメリカ人の裕福な馬主を多く知っているが、彼らは賞金が支払われるまで何ヵ月も待てるような人たちではないという。
さらに悲しいのは、次の世代があまり存在しないように見えることだ。有力生産者は概して保守的な愛好家たちであり、苦笑しながら現状に耐えている。ブルーノ・グリゼッティ調教師やアルドゥイーノ・ボッティ調教師(マルコ・ボッティ調教師の父)といったトップトレーナーも同じく高齢の指導者だ。何ヵ国語も話せるダーレー・フライング・スタートの卒業生や、一族の御曹司は輝かしいキャリアを求めて海外に渡った。
マティア・カドロッビ氏は以前イタリアの生産者協会会長を務めたことがあり、ちょっとした新星とみなされているが、今年の初めに生産者に贈られたトロフィーを地面に投げつけ人間関係をギクシャクさせた。
彼はこの過剰反応について謝罪したが、それは当局が財政援助をしっかりと行おうとしないことに対する不満の表明であった。
イタリア競馬界に楽天的な見解はない。どん底に到達したと思うたびに、さらに大きな災難に見舞われるからだ。
経済大国の1つであり、世界一有名な現役騎手を輩出した国が、競馬の消滅からそれほど遠くはないかもしれないということは、狂気の沙汰に思われるかもしれない。
しかし、いつかフランスのように競馬の利益に関心を抱き、何らかの形で自給自足を促進する組織の管理下に業界の財政が委ねられる日が来るであろうという漠然とした考えだけが残っているように思える。
あるスタンドにはフェデリコ・テシオを記念するプレートが掲げられている。テシオは、「イタリア生産界の栄光のために、最高のゴールライン上で旗を誇らしげに振った」人物である。
その碑文の最後は琴線に触れるようなものだった。
「世界中のサラブレッドの幸運のために、歴史が絶えずイタリア競馬にふさわしい未来を支持しますように」。
この言葉が真実であることをただ祈るばかりである。
By Tom Peacock
(1ユーロ=約155円)
[Racing Post 2023年9月10日「San Siro's beauty struggling to hide a damaged Italian racing industry」]