登録のあゆみ
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登録のあゆみ
  1. はじめに
  2. サラブレッドの誕生と登録制度の開始
  3. サラブレッド資格の要件
  4. 国際血統書委員会
  5. 我が国における登録
  6. 登録関係図書の発行
  7. 国際化への対応



1.はじめに
本財団が行っている軽種馬の登録とは、サラブレッド、アラブ、アングロアラブ、サラブレッド系種及びアラブ系種の5品種の馬を個体別に、その品種、血統、特徴、繁殖成績等を明らかにして永久に保存しておくことである。
この5品種の定め方は、(注1)のとおりである。
皆さんも御存知のように、馬も現存する他の家畜と同じように野性のものから飼いならされたもので、その歴史は古く、紀元前3,000年頃に東ヨー ロッパから中央アジアにかけての地域で家畜化が行われていたといわれている。
この永い年月の間に、競走用や馬術用、使役用とそれぞれの用途によって改良されてきた。
そして、軍事や産業を支えるとともに娯楽や神事祭礼のための競馬として人間の歴史に深く長く係わってきたが、科学技術の進歩により、今日馬を必要とするところは競馬、馬術競技、儀典などの世界のみとなってきている。
我が国で行われているような競馬は、世界各国(約90カ国)で親しまれているが、そこで走っている馬の大半は、サラブレッドである。
この、速くて美しいサラブレッドほど氏素性の確かな動物は他に類を見ないといわれているが、このサラブレッドの改良の歴史はそのまま軽種馬の登録の歴史と言える。
ここでは少し長くなるが、サラブレッドの誕生と登録制度の開始及びサラブレッドの改良に大きな影響を与えたアラブの登録関係(注2)、そして我が国の軽種馬の登録の歩みについて述べることとする。

----注1----
品 種
長い年月をかけて体型や能力が集団的に固まり、その体型や能力が遺伝的なものとなって親から子に伝わる。これが品種である。

サラブレッド
  • その血統のすべての系統が昭和55年1月1日以前に発行されている次の血統書に登録されている馬へさかのぼることができるもの
    • 我が国のサラブレッド血統書
    • 国際血統書委員会が承認した海外の血統書統轄機関の血統書
  • サラブレッド系種として登録されたものにサラブレッドとして登録されたものの連続8代以上の交配により生まれたもので、国際血統書委員会で承認されたもの

アラブ
  • アラブとして登録したもの
  • 世界アラブ機構が承認した外国登録機関が発行する血統書及び我が国向けの輸出証明書においてアラブとして記載されているもの
  • 前各号によりアラブとして登録したものの相互又は組合せの交配により生まれたもの

アングロアラブ
(アラブ血量25%以上を有するもので)
  • アングロアラブとして登録したもの
  • 次に掲げる外国登録機関が発行する血統書及び我が国向けの輸出証明書においてアングロアラブとして記載されているもの(以下アングロアラブとして登録したものという)
        登録機関名(国名)

        LE MINISTERE DE L'AGRICULTURE (フランス)

      THE ARAB HORSE SOCIETY(イギリス)
  • サラブレッドとして登録したもの及びアラブとして登録したものの交配により生まれたもの
  • サラブレッドとして登録したもの及びアングロアラブとして登録したものの交配により生まれたもの
  • アラブとして登録したもの及びアングロアラブとして登録したものの交配により生まれたもの
  • 以下省略

サラブレッド系種
(アラブ血量25%未満のもので)
  • サラブレッド系種として登録したもの
  • サラブレッドとして登録したもの及びアングロアラブとして登録したものの交配により生まれたもの
  • サラブレッドとして登録したもの及びサラブレッド系種として登録したものの交配により生まれたもの
  • 以下省略

アラブ系種
(アラブ血量25%以上を有するもので)
  • アラブ系種として登録したもの
  • サラブレッドとして登録したもの及びアラブ系種として登録したものの交配により生まれたもの
  • アラブとして登録したもの及びサラブレッド系種として登録したものの交配により生まれたもの
  • 軽種に属しないものにサラブレッド、アラブ、アングロアラブ、サラブレッド系種又はアラブ系種として登録したものの少なくとも連続4代の交配により生まれたもの
  • 以下省略


2.サラブレッドの誕生と登録制度の開始
英国では、15世紀には王朝が成立して国内が安定し、競馬を支援し、あるいは競馬に参加する王侯貴族が少なくなかったことなどから、競馬も定期的に開催されるようになり、競走目的の馬を専門とする生産が17世紀後半から行われるようになって、当時の英国産馬より速力や持久力の優れた東洋系馬の輸入が一層盛んになりそれらを英国馬と交配して能力の向上がはかられた。
1727年にJohn Chenyの手によって 、初めて「年刊の競馬成績書」が「Racing Calender」として発刊され、それ以降発行者は何回か替わり、後にはジョッキークラブの刊行物となったが、競走馬の能力検定の公式記録書の公表という事業は今日まで続行されている。この「Racing Calender」の中に出走馬の血統などは簡単に記録されていたが、組織立った血統情報および生産情報の公式記録等の刊行は、やや遅れていた。
当時の「Racing Calender」の発行者であったJames Weatherby が、長い年月を要して既刊のRacing Calender 並びに「セリ名簿」その他の資料を精査し、競走馬として改良されたと判断し得る限定された個体を網羅し、従来見られなかった独特のスタイルで、記録事項を必要最小限にとどめ、簡潔に表示した繁殖記録総台帳といった趣旨の「General Stud Book」の「序巻(Introduction)」を1791年出版した。
この中には種雌馬を主体とする生産記録とは別に17世紀から18世紀にかけて輸入された東洋系馬が掲載されており、いわゆる根幹種雄馬として知られているByerly Turk , Darley ArabianおよびGodolphin Arabian もこれに含まれている。
サラブレッドの登録事業は、他の家畜に先駆けて、これによって開始された。
丁度、家畜育種の父と言われ、独創的な技術で英国在来の牛、めん羊、重種馬等を改良して新品種の固定をはかっていたRobert Bakewell と同じ時代に当たる。
J. Weatherbyの刊行書には、Bakewell については全く記されていないが、Stud Book の編集方針あるいはスタイルに何らかのヒント等を得ていたのかもしれないと想像される。
General Stud Book の第1巻は1793年に刊行され、その後何度も改訂増補版が出版され、初版の発行から百年近く経った1891年に最終の決定版第5版が刊行された。
その間、血統の厳格な調査は引き続き行われて改良種として失格であると判明したものは削除し、真の有資格馬に限って登録し、第2巻以降も、この原則は厳守され、今日までWeatherby 家の同族会社であるWeatherby 社が本書の刊行に責任を負っている。
----注2----

アラブの起源等については古くから種々の論議が行われ諸説があったが、今日でも農務省が馬の全品種の登録を行っているフランスが1884年の省令でアラブの原産地の範囲をアラビア半島と定めており、これが現代の一般的見解と考えられる。
遊牧民は在来馬群の中でも純血群をアジールと称して、これの繁殖については非常に厳格であった事が知られている。
厳しいアラビアの自然環境による淘汰が加わって、原産地産のアラブは純粋種として優れた形質が固定され世界各国に知られるようになり、サラブレッドを始め多くの馬の品種改良に広く用いられた。
現在も、東西ヨーロッパおよびアメリカ、中近東諸国に有名な純血アラブ牧場が多数存在し、1970年に「世界を通じてアラブ馬の純粋性を維持する」 目的で「世界アラブ馬機構(World Arabian Horse Organization)」が創設された。
この機構は主要生産国に調査団を派遣して原産地産馬ならびに原産地から輸入された基礎資源を厳密に審査し、これによって純血と認め得るものだけを血統書(Stud Book) へ登載するよう定め、この機構が承認した諸国の「アラブ血統書」に登録されているものを「純血アラブ」と定義している。


3.サラブレッド資格の要件
英国からサラブレッドを輸入し競馬を行っていた諸国は、登録制度をもならい、順次自国の「Stud Book 」を英国の形式を踏襲して行っていた。
しかし、登録業務が完成しない時期に輸出された馬が、出国先の諸国で優れた競走成績をあげ、それら自身または子孫達が英国へ逆輸入され繁殖用として残る例がふえてきた。
海外からの輸入馬には、それらが出生した国の公的機関による血統と個体を証明する文書の提出が規定されており、ヨーロッパ諸国、米国およびオーストラリアなどから公的文書が付されてきた馬の英国における出走や繁殖供用は認められていた。
ところが、出生国ではサラブレッドとして登録されながら祖先の中には英国の血統へ遡れないものが入っているため、英国では「半血馬」扱いとなる馬が現れた。
すなわちそれまでGeneral Stud Book への登録条件は明示されていなかったために、本書への登録資格について問題が生じたのである。
英国の生産者の多くは、自国で創り上げた純血馬が、素性が不明確な祖先を持つ馬の血で汚されるのを恐れ、当時すでに競馬統轄機関としての地位を不動にしていた最高機関であるジョッキークラブの理事会に付託し、主要生産者との協議決定として1901年発行のGeneral Stud Book 第19巻に、「本書に登録資格のある馬は、8ないし9代にわたり純血の交配が完全に証明され、また少なくとも1世紀にわたり血統を遡ることができるとともに、その近親馬の競走成績が優れていて血統の純粋性が実証されるものでなければならない。」という内容の登録資格、つまりサラブレッド資格に関する初めての記述が示された。
更に、独立以前から大規模に競馬が行われていた米国において、19世紀半ばの南北戦争、並びに20世紀初期の賭博禁止令による競馬の受難期が続いた。
このため米国産馬が大挙して英国へ送られ競走馬として好成績をあげ、かなりのものが繁殖に供用されるようになった。
事態を一層憂慮したジョッキークラブでは、英国産競走馬の純粋性を守るため強硬措置をとるべきであるとの意見が大勢を占め、1909年発行のGeneral Stud Book 第21巻の登載要件は更に強化され、第22巻では「今後、本書に登録されるすべての馬は、その父母双方の祖先のすべてが完全に既刊の本書に登録されているものに限る」との趣旨に改められた。
この登録要件は、主唱したジョッキークラブの理事長の名前から「ジャージー規則」として世界的に知られている。
General Stud Book は純粋維持のため厳重な閉鎖登録の導入となった。
この措置によって、サラブレッド資格を拒否された米国の生産者および馬主から当然ながら、はげしい抗議が起こり、関連馬が存在するフランスをも含み、英・米の競馬関係者の激しい対立が第二次大戦後まで続いた。
「ジャージー規則」により英国で「半血馬」扱いになっていた米国馬の血を引く幾頭かが、平和の到来と共に海外へ送られ、英国の重要競走に優勝したこともあって、英国での審議の結果、「ジャージー規則」は廃止された。
1949年刊行のGeneral stud Bookの要件は前記の1901年に示されたサラブレッドの要件へもどり、この問題は一応決着をみるに至った。
詳しくは本財団が発行している「ジェネラル・スタッドブックの歴史」をご覧下さい。



4.国際血統書委員会(International Stud Book Committee)
競走用あるいは繁殖用のサラブレッドの国際交流が、交通手段の急速な進歩と共に、益々活発化したことによって、主要なサラブレッド生産国間のサラブレッド資格の一部の齟齬、その他血統登録手続きなどを国際的に調整し、統一する必要が生じた。
1976年にWeatherby 社が主催して国際血統書会議が開催されサラブレッドの定義、サラブレッドStud Book の登録条件等について審議が行われた。
1979年に、世界を6地域(アジア地域、オーストラリア・ニュージーランド地域、ヨーロッパ地中海地域、北米地域、南米地域、南部アフリカ地域)に分割し、地域委員15カ国で組織される国際血統書委員会となり、引続き審議が重ねられたが、サラブレッドの定義の定め方については難航した。
1984年に至り、委員国相互でStud Book を審査し、承認しあうことによってサラブレッドの国際的定義を次のように定めることが合意され、「競馬と生産に関する国際協約」に収録された。
即ち、「当該馬は、国際血統書委員会が承認した血統書(Stud Book)に1980年1月1日以前に登録されている父馬および母馬の交配による産駒であるか、またはこのように登録された馬に、その血統のすべての系統で遡れるものでなければならない」というものである。
地域委員国が所属する地域毎に、血統書会議(または委員会)を組織させ、国際血統書委員会が進めているサラブレッドの登録とStud Book 管理の国際標準化を徹底させ、更に委員国による各地域内のStud Book について承認のための指導にあたらせ、10件以上の国のStud Book の国際承認を行っている。
血統登録の厳正を期すため、この委員会発足当初から併せて審議されていた血液型による親子鑑定を登録条件に取り入れることを義務付け、各国の血液型研究所の検査能力の国際標準化とそのレベル維持のためのシステムも定められている。
人工授精について、人工授精の禁止を解除するか否かについては、国際血統書委員会でもたびたび議題になっており、血液型による親子鑑定、あるいは最近ではDNAの利用も徐々に用いられる方向に進んでおり、故意または錯誤による親子関係の取り違いの防止という意味はなくなってきている。
しかしながら、現在の血統書委員会の見解としては、特定の種雄馬の産駒が集中的に増え、ただでさえ狭いサラブレッド産業がますます特定の血統に集中する恐れがあり、それによって近親交配の弊害、体質の虚弱あるいは、疾病、故障などの多発が危惧され、いったんこのようなことが生じると、サラブレッドという品種の存続に重大な危機が生じるという見解が多数を占め、もし解除するのであれば、国際的な合意がなければ踏み切れないというのが依然として委員会の公式認識である。
個体識別の表示方法についても記録する事項および用語の国際的統一がはかられつつある。
非サラブレッドと称される、サラブレッド資格のない馬から、サラブレッドへ昇格する手続きも「当該馬のための交配を含めて、上記定義のサラブレッドとの連続8代の交配記録が十分に証明できる産駒でなければならない」と定められている。
この昇格についても、条件を満たすと当該馬の出生国の血統書統轄機関が判断した各馬1頭毎にサラブレッド連続8代交配があったことを公式記録によって示すとともに、当該馬およびその祖先がサラブレッドの競走に出走して、サラブレッドと同等の競走成績をあげていると確認できれば、その国が所属する地域の血統書会議(または委員会)に先ず申請し、そこで承認が得られれば国際血統書委員会へ推薦して、委員会全員の賛成が得られなければならない。
5.我が国における登録
1.
我が国においては、「ジェネラル・スタッド・ブック」第1巻の刊行から約130年遅れの大正14年(1925年)に登録を開始した。
これは、大正12年4月10日競馬法の公布により軽種馬登録の必要に迫られたもので、社団法人帝国競馬協会を設立し、軽種馬の血統及び能力登録を行うための馬匹登録規程を定めて実施したものである。
血統登録は、甲、乙、丙の三種に区分して行われた。
甲種は、サラブレッド・アラブ・アングロアラブ・ギドラン種とし、乙種は、内国産洋種又はこれに準ずる馬で軽乗馬の体型を有するものとし、丙種は、アングロノルマン・ハクニー とした。
一方、能力登録は、競馬法による競馬において一着賞を得た馬の、その距離、速度及び負担重量を登録した。
そして、大正15年に馬匹血統登録書の第1巻を発行した。
以後毎年一巻づつ続刊して昭和12年に同協会が解散するまでの間に11巻の発行をみた。

2.
昭和11年に競馬法が改正され、翌12年に競馬施行団体の各競馬倶楽部は解散し、新たに特殊法人の日本競馬会が設立されて競馬を施行することとなった。
また、それに伴い帝国競馬会も解散することになり、同協会が行ってきた登録事業は、日本競馬会が継承し、馬匹登録規程を定めて行うことになった。
日本競馬会は、登録を行うとともに次の血統書を発行した。
ア.馬匹血統登録書
帝国競馬協会で既刊された第11巻に引き続き第12巻以降毎年1巻づつ続刊し、昭和18年第18巻を発行したが、種馬登録規則の公布に伴い本卷で終巻となった。
イ.サラブレッド血統書
大正14年以降血統登録をしたサラブレッド牝馬について繁殖成績を調査して諸外国のスタッドブックに準じ、英国血統書から約150年遅れの昭和16年(1941年)に第1巻を同23年に第2巻を刊行したのである。(なお、競馬の国営化に伴い第3巻は農林省畜産局競馬部で、更に、競馬の移管により第4巻は日本中央競馬会で発行し、第5巻から軽種馬登録協会が発行を継承することとなった。)

3.
昭和16年4月7日種馬統制法に基づく種馬登録規則(農林省令第17号)の施行により、軽種生産用の種馬の登録は、馬政局長官が行うこととなり、日本競馬会は、昭和18年3月限りで馬匹登録規程を廃止し、以後馬政局から委嘱された軽種種馬登録書及び年報の編纂発行と、これに関する調査を実施することになったが、結局昭和20年に登録年報第1巻を発行するにとどまった。

4.
昭和23年種馬統制法が廃止され、新たに種畜法(昭和23年法律第155号)の制定により、同法の規定に基づき昭和23年12月28日軽種馬登録協会が設立されて軽種馬の登録事業を継承したが、種畜法が廃止になり、新たに家畜改良増殖法が制定されたことに伴い、昭和25年11月16日社団法人に改組された。
社団法人になってからの協会は、全国に13支部を置いて事業を行った。
登録は、予備登録(現在の血統登録)及び本登録(現在の繁殖登録)にわけて行うようになったが、両登録とも年を追うごとに増加の一途をたどった。
また、登録関係図書の発行も次のとおり引き続き行われた。
ア.本登録馬名簿
前年中に本登録を行ったものを収録して毎年発行することとし、昭和29年に第1巻を発刊以来、昭和45年までの間に16巻の刊行をみた。
イ.サラブレッド血統書
日本中央競馬会発行の第4巻に引き続き、協会は昭和33年に第5巻を発行した。以後、社団法人の間には7巻まで発行した。
ウ.サラブレッド系種血統書
昭和33年に第1巻を発行したが、第2巻・第3巻は、それぞれサラブレッド血統書第6巻・第7巻に併合して発行した。
エ.輸入牝馬血統表
昭和27年に輸入され繁殖に供されたものから登載し、第1巻を昭和35年に発刊、以後3巻まで継続した。
昭和46年6月21日社団法人組織を財団法人組織に改組することになり、農林大臣に財団法人の設立申請を行い、同年7月1日設立許可を受けて財団法人日本軽種馬登録協会が発足した。
6.登録関係図書の発行
財団法人になってからの登録関係図書の発行は、時代の変遷とともにその形態を変えつつ今日に至っている。
1.
昭和46年から前年度に繁殖登録された種雄馬及び種雌馬の名簿を編集した軽種馬繁殖登録馬名簿の第1巻が発行され、昭和49年の第4巻まで続いた。
昭和50年からは、前年度までの血統登録馬、繁殖登録馬及び登録証明書の再交付を受けた馬について50年会報として公示した。
平成5年からは、登録年報の名称で、前期(1月から6月)と後期(7月から12月)の2回にわけて発行し、前期には、血統登録馬、繁殖登録馬、種雌馬繁殖成績、供用種雄馬を掲載し、後期においては、血統登録馬、繁殖登録馬、血統登録馬を父馬別に掲載するとともに、登録馬に係わる統計資料を付して発行していたが、平成12年より血統書を毎年発行することから、年報は公示事項と統計資料のみの掲載とし、発行も年1回となった。
2.
サラブレッド血統書とサラブレッド系種血統書は、現在サラブレッド血統書第16巻及びサラブレッド系種血統書第12巻が発行されている。なお、従来は4年毎の発行であったが今巻からは毎年発行される。
3.
昭和35年にサラブレッド輸入種雌馬について発行したサラブレッド輸入牝馬血統表第1巻を発行し、昭和43年に第3巻を発行した。その後は、サラブレッドの輸入種雄馬、競走用馬及びアラブ・アングロアラブの輸入馬を加え輸入馬血統表とし、昭和52年に第4巻として発行し、平成10年には第13巻を発行したが、それ以降は発行される予定はない。
4.
昭和56年には、それまで編集されていなかったアラブ系種血統書第1巻及び軽半血種の血統書第1巻を合本の形で発行した。
しかし、軽半血種については、昭和59年以前に生まれたものに限って登録できることになったため、昭和61年にアラブ系種・軽半血種血統書第2巻をアラブ・アングロアラブ血統書第3巻と合本で発行したが、これ以後 軽半血種血統書の発行は行われていない。従って、その後のアラブ系種血統書は、アラブ・アングロアラブ血統書と合本で発行されている。
最新版は、平成12年に発行された「アラブ・アングロアラブ・アラブ系種血統書2000年版」で、以後は毎年発行される。
5.
平成5年には、平成4年に発行されたサラブレッド血統書第13巻の欧文版が発行され、同6年には、本財団の登録規程及び同実施基準の英語版が発行された。
なお、最新版は日本語の血統書と同様に年一回の発行となる。
6.
本財団は、登録審査等に携わる者の技術の向上を図り、広く一般に登録の内容等を知ってもらうため「馬の毛色と特徴の図鑑」を発行するとともに、平成5年には、英国の血統書統轄機関「ウエザビー 社」から発行されたピー ター ・ウィレット著「A History of General Stud-Book」の翻訳、印刷、出版及び販売の権利を同社から取得し日本語版の「ジェネラル・スタッド・ブックの歴史」を発行して、軽種馬の登録の歴史及び登録の意義等の普及・啓発に努めている。
7.国際化への対応
1.
本財団が、はじめて国際血統書会議に出席したのは、昭和53年にロンドンで開催された第3回国際血統書会議からである。
そして、翌々年(昭和55年)の第2回国際血統書委員会から臨時会議を含め同委員会の会議には継続して出席するようになり、昭和57年からは、同委員会の会議にアジア地区代表として今日まで出席している。
2.
アジア競馬会議には、昭和59年のオー クランドで開催された第17回と翌年開催された第18回に出席したあと、平成2年の21回から継続して出席している。
3.
近年競馬の国際化が急速に進展しているなかで、サラブレッドの血統登録業務の国際的な整合が不可欠となっている。
しかし、アジア地区においては、他の地域と異なり各国の血統書統轄機関をメンバー とする組織が未設置であったため、国際的基準の周知徹底等が不十分であったことから一堂に会する機会を設けることが各国から強く要望されていた。このため、平成7年1月22日日本とインドが共催で、ハイデラバー ドで第1回アジア血統書会議を開催した。
この会議では、日本とインドが議長を務め、14か国29名が参加して行われたが、今後とも継続していくため日本が常設事務局を引き受けることとなった。
会議は1年半から2年ごとに開催されるアジア競馬会議にあわせて開催されている。
4.
アジア各国は、国際血統書委員会の「血統書の承認」を得るため、日本の指導と協力を求めている。
特に、平成5年ごろからは、フィリピン、マレー シア、韓国の各血統書統轄機関に対し役職員を派遣するなどして指導を行ってきた。
当初インドと日本しか承認されていなかったアジアの血統書も平成8年にアラブ首長国連邦の血統書が承認され、日本がアジア血統書会議の常設事務局になって、専任で審査し承認の推薦を行ったフィリピンとマレーシアの血統書が平成9年に承認されている。その後も平成10年には韓国、トルコ、タイ、平成11年にはサウジアラビア、平成14年にはバーレーン、カタール、中国、平成21年にはシリア、平成24年にはオマーンとアジア地域の血統書が続々と国際血統書委員会において承認を得ている。
今後血統書の国際承認を求めるであろうと考えられる国はクウェート、パキスタン、イラン等である。